私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

内藤誠 × 牧口元美 トークショー レポート・『時の娘』(2)


【俳優陣について (2)】

 アート系映画には珍しく、『時の娘』(1980)には梅宮辰夫が出演。

 

内藤「梅宮にいっしょにカンヌ行こうって言って。「さっぱり判らんな、この話は」って言うから、判らんからカンヌ行くんだと(笑)。梅宮も自分で(劇中の)料理つくって、鯛を捌いてるところとか。梅宮はスタッフの料理もつくってくれて、そういうのがあいついい奴だなあと。鎌倉の漁港から魚を取り寄せてね。せっかくだから料理してるところを俯瞰で撮ってやろうと。サービスカットですね(笑)

 それから何年か経って、上野の荒戸(荒戸源次郎)くんの一角座で上映したときも梅宮は見に来たんですよ。「やっぱり判らん」って。でもよく入っているから、きょうは銀座で飯食おうってことでごちそうしてくれました。それから何十年か経って「お前まだ判らんか?」って言いましたね(笑)。

 ぼくはいしいしんじシーラカンスを釣り上げる話を、梅宮で「老人と海」ということでやろうって言ったら、シーラカンスを釣るところはどうするんだって言われて、コンピューターに決まってるって言ったら「釣りにコンピューターはいけません!」って(笑)。そのうちに死んじゃいましたけど、面白い人だったですね」

牧口「料理番組にも結構出てたよね」

内藤「牧口さんにはほんとに久しぶりにお会いできて嬉しいですね。荒戸くんも亡くなったし、この作品に関係している人と会いたいなと思ってるんですけど、なかなか会えないですね。

 飯田(飯田孝男)さんは、今度発見の会(の舞台で牧口氏と共演予定)なんだけど。これにはトルコの看板を持って出てるんだよね(笑)」

牧口「冒頭に出てくるんだよね」

内藤「若き日の飯田さんが。

 岸田今日子さんにこういう映画を撮りますって言ったら台本を読んで「私の好きな話だからナレーションをただで読んであげます」って来てくれたんですね。『不思議な国のアリス』の一節を岸田さんが読んでいます。出てもらうところにないかと思ったんだけど。サローヤンの『ママ・アイラブユー』(新潮文庫)を岸田さんと翻訳したことがあったんだけど、ちょうどそのころだったのかな。岸田さんも亡くなっちゃったし」

 

 ヒロイン役の真喜志きさ子氏も天象儀館の関係での起用だという。

 

内藤「真喜志さんが沖縄からこれ見に来るって言ったんですけど」

牧口「真喜志さん、美人枠だね。あのとき20歳として60か」

内藤「真喜志さんはアングラをやってたんだよね。琉球大学だったかを辞めて、東京に出てきて」

牧口「劇団駒場かな」

内藤「路上でやってたんだよ。中島葵が真喜志さんに天象儀館を紹介して。中島葵はぼくが西村寿行の『北アルプス脱獄誘拐事件』(1981)っていう2時間ドラマを撮ったとき、出てもらった。森雅之の娘さん。ぼくはほんとによく働いたんですよ、はずかしいくらい(笑)」

牧口東映の作品を見ていると最後(のクレジット)にほとんど内藤誠と」

内藤「そんなことはないんですけど。

 このストーリーだと東映ではできなかったんだろうとしみじみ思いました。川喜多和子さんが気に入ってくれて、ラストシーンさえ直したら、カンヌに持ってってあげるとまで言ってくれたんですよ。でも天象儀館の女の子たちに本当によく働いてもらったんですよ。女の子たちが踊ってるところは丁寧に見せたいので、ラストシーンはこのままがいいやと。いま思い出しました。みんなどうしてるかなと(笑)」

【その他の発言】

内藤「自主映画を撮るようになってから『俗物図鑑』(1982)でも『スタア』(1986)でも自分のお金で現像費を出して(フィルムを)焼いて、自分の家の押し入れでは無理なんで日大の芸術学部の倉庫に入れてもらってるんです」

牧口「状態はよかったんじゃない?」

内藤「よかったですね。心配したんですよ。全然上映してなかったからね」

牧口「歌はちょっとかすれてた?」

内藤「杉田(杉田一夫)さんの歌ね。世界的に有名になった人(川井憲次)も演奏の中にいて、いま学生が見ると、音楽のところで「ええっ!」って言うんですよ。そのときは有名じゃなかったんですけど、いまだったらお金が…。ぼくも新しがり屋で、フュージョンっていう音楽が流行り出したんで、それができる人に音楽をやってもらおうと。当時はかっこいいと思ってたんで。

 映画ってやりたいことを半分くらいできたら、満足しなくちゃいけない。『明日泣く』(2011)のときは、渋谷毅って人がジャズ音楽をつくってくれて、その人は浅川マキと組んでたんで主題歌を歌ってもらえないかと思ったら亡くなっちゃって」