私の中の見えない炎

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遠藤利男 × 今野勉 × 滝田栄 トークショー “岩間芳樹ドラマの魅力を語る” レポート・『天からもらった場所で』『ビゴーを知っていますか』『曠野のアリア』(1)

 40年間の作家生活で膨大な作品を手がけた脚本家・岩間芳樹。映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)やテレビ『わたしは海』(1978)、『3年B組貫八先生』(1979)などで知られるが一方で『ビゴーを知っていますか』(1982)や『ザ・ラストUボート』(1993)など実在の人物や事件に材を取った作品も多い。多作家で長い連続ドラマを1本とカウントしてもテレビ・ラジオ450本を手がけたという。

 3月に『ビゴーを知っていますか』、『天からもらった場所で』(1963)、『曠野のアリア』(1980)が上映され、岩間芳樹を回顧するシンポジウムが行われた。『天から』の演出・遠藤利男、『曠野のアリア』の演出・今野勉、『曠野』の主演・滝田栄の各氏が登壇した。司会は放送人の会の渡辺紘史委員長が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

 まず滝田氏が総論的なコメントをした。

 

滝田「ミュージカルの『レ・ミゼラブル』(1987)の主演のオーディションに合格して、帝劇で14年間、演じつづけて。感動というのをテーマにやってきて、見てくれた人がおれも頑張ろうと思ってくれるような仕事をしたいと念じていたら、岩間先生に会えて。

 きょう見ていただいた作品をやったのが1980年で30歳のとき、今年はぼく72歳になります(笑)。1981年に岩間先生の3時間のスペシャル『マリコ』(1981)をやらせてもらって。1982年は城山三郎さん原作の『勇気堂々』、渋沢栄一の物語です。1985年には「ぶっちゃけてみない?」って言われて『大江戸神仙伝』というSF娯楽作品で、サラリーマンが日本橋から江戸時代に落っこっちゃうという作品をやりました。東映太秦で撮った力作です。この後で岩間先生は「魯迅なんかやりたいね」「藤田嗣治が面白そうなんだよね」とおっしゃっていて、あちこちからアプローチをしてくだれたんですけど。藤田嗣治の5番目の奥さんは当時「日本人には演じさせない」と許可が出なくて、そのうちに突然、岩間先生が亡くなってしまって。ぼくの中の柱がぽきっと折れちゃったような。そして感動というテーマで死ぬような思いで『レ・ミゼラブル』をやってきて、もういいかという気がしたんですね。これ以上はないかなという気持ちがぼくの中で生まれてしまって、演劇やドラマから離れて、今後は自分の言葉で人生を生き切ってみたい。自分の言葉を求めて、仏像を彫ったり、仏教の勉強をしたりしています。

 岩間先生の作品を、うちで古いビデオを見て、きょうも見せてもらって。いっしょに見た仲間も滂沱の涙で「この時代のドラマはすごかったね」と。人間を熱く深く語っていて、演じさせてもらってよかった。いまは制約がありすぎて、政治的なこととか触れられないし、スポンサーの意向も汲まなくちゃいけない。

 きょう初めて『ビゴーを知っていますか』を拝見したんですが、ビゴーというフランス人の青年が日本人の中に美しさと優しさを見つける。それを、厳しい時代がやって来ても忘れないでほしい。ビゴーを通してのメッセージですが、岩間先生の全作品を通してのメッセージだったと思います」

【『天からもらった場所で』と初期作品 (1)】

遠藤「もう90歳でいま訊かれたことがもう判らなくなるような状態ですが、私は1954年にNHKに入ってから1960年までラジオドラマをやってまして。1961年にテレビへ行けと言われて、名古屋の放送局に転勤してそれ以来ずっとテレビです。ラジオのほうが自由だったですね。空間も時間も自由に主張できて、表現の内容ははるかに先進的。私もかなり前衛的なことをやって上司から忌み嫌われていたんですけれども。はたで見ていて、テレビは映画までは行かないし、演劇のようにもならない。それではテレビとはいったい何であろうということをみんな考えて悩んでいた。ラジオをやっていた人間からすると、差別的な言葉ですが土方仕事というか、泥にまみれながら小さなスタジオの中で格闘するのがテレビの現場でしたね。60年安保があって、その年の末にNHKの組合が大ストライキをやった。17時間ストライキで、私は主要なメンバーじゃなかったですけれども支持して、最後まで戦った人間として1961年に名古屋に飛ばされた。そこで岩間さんと仕事を始めた、ということです。

 『汽車は夜九時に着く』(1962)というのは連帯とか組織とかを全く否定するようなドラマで、きょうごらんいただいたドラマでは夢や理想、連帯を若干恢復したい。人と人とがどうやったらつながれるか、集団就職した少年少女が真剣に話し合っていく中で何が出てくるかなと岩間さんといっしょに考えたということです」(つづく