【若き日の想い出 (2)】
寺田「(『でっかく生きろ』〈1964〉)演出の実相寺は、ブリューゲルがほしいと。女優さんと喫茶店でお茶飲んで話すんだけど、セットは真っ白にしてくれということで、セットデザイナーですごいのがいてまた真っ白に塗る。モノクロで、ぼくらは黒一色の衣装で、真ん中にブリューゲルのバベルの塔を置く。それをワンカットで撮って途中でブリューゲルばっかり映る(一同笑)。女優さんが映ると、パン戻しでブリューゲル、ブリューゲル、ブリューゲル。おれが映るとまたブリューゲル。3〜4分のワンカットで、そういうのを先駆的にやった人ですね。
当時はマイクがワイヤレスでないから、音声さんが上からマイクを吊して撮るんですよ。セットの壁が最大6尺で、それ以上だと届かない。ところが実相寺が9尺つくって、上からできないんですよ。そこで竿の先にマイクをつけて、下から録る。あるとき下に見切れて、放送に出た。当時の部長は鈴木道明っていう作詞・作曲家としても知られた大変な人だったんだけど、この人が「マイクの見切れはままあったが、すべからく上である。下から見切れるなど初めてである」と烈火のごとく怒った。実相寺は「マイクの見切れに上下なし!」(一同笑)。それで顰蹙を買って、中継に飛ばされちゃう」
中堀「監督はTBSで干されてたとき、有給は無理そうだから自費留学でパリに行ってる。原知佐子さんが岸惠子さんとの番組でパリに行ってるんで、追っかけてパリに行っちゃう。映画学校に入ろうかと思ってたらしいけどやめて、お金がないからツアーの添乗員をやって何があっても「ナポレオンです」と言ってたと(笑)。
当時監督から寺田さんに来たはがきには「でっかく生きてると言ってください」と書いてあります。
昔の人だから、出したホテルも書いてありますね。ホテル・ワシントン・オペラ。ホンダのコマーシャルの仕事で岸惠子さんを撮りにパリに行ったら、電通の人はいいホテルに泊まるんだけど、監督が「おれたち、こっち泊まるぞ」と。後で手紙見て、話がつながる」
寺田「想い出のホテル(笑)」
中堀「パリのコーディネーターにここを取れと。それから行くロケは、いつもそこでした」
寺田「出自としては名門なんですよ。お父さんは外交官で、親戚も三菱の社長とか。お母さん系のお祖父さんは長谷川清で横須賀の司令長官とか台湾総督とかやった人。名門であるがゆえ、ああいう変なのが出ちゃう。早稲田の仏文に入って、在学中から外務省でフランス語の暗号解読のバイトして。フジテレビ受けて落ちるんだけど、TBSに受かる。
実相寺がフランス語ができるって噂に聞いてたけど、判らなかった。当時みんなで『突然炎のごとく』(1962)を見に行って、ぼくなんか大好きな映画だけど、ジャンヌ・モローが唄うんですね。みんなで覚えようってなって、実相寺はフランス語できるんだから書けって言ったら、あいつは暗闇の中でだーっと書いたんだね。終わって喫茶店で、かなふってもらってみんなで覚えた」
【監督 実相寺昭雄 (1)】
寺田「実相寺は最初っから観客に語りかけない、お客さんはどうもいいと。そういうのが最初からありましたね。自分のために自分だけのもの、多くの受難者によって構成される(一同笑)光と影の世界。実相寺作品を見てどうこう言っても仕方がない。あの人だけのことだからね。ただカメラマンは物理的に映像にしていくわけだから、露出はいくつとかやるけど。『あさき夢みし』(1974)ではほんとに暗いんですね。中世の問わず語りが原作だから、灯明の光しかない。それを延々露出を計っててやっても、ラッシュで実相寺は「お前の露出機は狂ってるんじゃないか!」。明るすぎると。どう見たって見えないのよ(一同笑)。それでも明るすぎると。ATGの小屋で見たんだけど、ほんとに暗くてね、目をこうやって。そうかと思うと横移動でぱっと明るくなって、ジャネット八田さんが障子の向こうに逆光でいる。もう何が何だか判らないんだけど、これが実相寺の世界なんだなと思うしかない。批評とか何にも関係なかったね」
中堀「御所の庭の白砂の反射だけが部屋に入って、部屋の奥は映らない。それをやれって」
中堀氏は、最近は “実相寺昭雄研究会” のメンバーとして、実相寺監督の過去を調べているという。
中堀「監督を知るためには、生まれてからTBSに入るまでが大事かと思って調べているんですが、やっぱり大変なものをしょってるんですね。海軍大将だったお祖父ちゃんの長谷川清はA級戦犯で巣鴨に入れられちゃう。山本五十六の前任が長谷川清で、戦争に大反対だったんですよ。戦争反対してた奴だからってことで、すぐ出してもらえたらしい」
寺田「長谷川清がラッキーなのは台湾提督だったから、あまり戦争に直接関わってない。しかも反戦的だったから、戦犯解除になって。お祖父さんも相当ラッキーだけど、実相寺もラッキー(一同笑)」
中堀「ただ中国での暮らしはほんとに悲惨だったと、日記に微妙に書いてるんですが。お父さんは外交官で優秀で、奥さんが長谷川清の娘。戦争が形勢不利なころに反戦の家系ということで張家口に飛ばされる。ゴビ砂漠の入り口みたいなところ。親父も戦争に負けるって判ってて、望郷の唄を歌いながら飲んだくれてた。親父は酔っぱらって帰って、お母さんにお前の父親がいるからおれはこうなったと言って、お母さんをいじめる。小学1、2年生で、お母さんが毎晩いじめられてるのを見た」(つづく)