【『セブン』について (2)】
『ウルトラセブン』(1967)の第40話「セブン暗殺計画(後編)」には、砂山での戦いのシーンもある。
飯島「CGのない時代ですから、爆発はちゃんと爆発物で」
古谷「ロケは怖かった。砂利も飛んでくるし」
飯島「監督も怖かったですよ」
古谷「どこで爆発するか判らない」
飯島「ほんとに『セブン』ではみんな無鉄砲でしたね。自分でもきょう見てて、いまだったら遠慮してしまうことでも俳優さんに要求してて」
古谷「あのとき救急車は来なかったですよね(笑)。(ロケ地は)力道山の山で。力道山が全盛期にあの山を買って、亡くなってそれを(遺族が)手放したと」
飯島「断崖絶壁で、足下がするする崩れる。そういうところで平気で撮影してる」
【実相寺昭雄監督の想い出】
故・実相寺昭雄監督が『ウルトラマン』(1966)と『セブン』で撮ったエピソードは特に伝説として語り継がれる。当時の実相寺は、飯島氏と同じくTBSの社員演出家だった。
古谷「(実相寺監督は)最初はね、変な人がうろうろしてるなという感覚で。着るものも飯島さんと違って赤坂の演出家じゃないみたいな。そういうのが第一印象」
飯島「実相寺くんについて語ると、それだけで1時間終わっちゃう(笑)」
上映された第8話「狙われた街」では、暴れるフルハシ隊員(毒蝮三太夫)の頭を古谷氏が棒状のもので叩いて鎮圧するシーンが印象的。効果音もあって竹刀のように見えたのだが…。
古谷「地図を丸めてポンポンやったんです。このやろこのやろってやった覚えが。実相寺さんは何も言わないし。芝居つけない人だったですよね?」
飯島「いや、知らない(笑)」
実相寺作品では、真っ暗な画面が印象深い。
飯島「暗くてよく見えないから(一同笑)。事実、暗いライティングで撮ってたけど、当時テレビはまだ東京タワーから送ってたのかな。地方に行くと粒子が粗くて、いまより映像が暗くなる。
俳優さんの顔は、実相寺はどうでもいい。シルエットでいいからこういう構図と指示する、よく言えばですけど(笑)」
古谷「照明さんに言わせると、実相寺のときは電気代が節約できると(一同笑)。一(円谷一)さんはもっと明るいしな。そんな撮り方もあるんだと感心してました。実相寺演出は、ぼくら映画人はそんなにすごいとは思っていなかった。節約はすごいと(笑)」
飯島「暗いのは初期からありましたね。女優さんは綺麗に撮るには、望遠で撮る。50ミリ以下から撮らない。すると綺麗になる。それが16ミリでと。そういう思い切ったことができる監督でした」
古谷「(『ウルトラマン』では)桜井浩子さんは綺麗に撮ってもらってた、魚眼レンズで(一同笑)。桜井さん、ここにいないから」
そこへ客席から桜井浩子氏が登場。古谷氏は逃げ出す。
桜井「魚眼レンズで撮っていただいた桜井浩子と申します(笑)」
【その他の発言】
古谷「(ロケ弁は)はんぺんのてんぷらだったね」
飯島「ちくわをうすーくスライスして大きく揚げるのが上手でした(笑)。軽井沢であろうとどこでもそのお弁当」
古谷「東宝は自前。ロケ弁は円谷といっしょでしたよ」
飯島「劇映画の監督やスタッフと同じ食堂でも、テレビの席は分かれてて格が違う。そういうの、くやしかったね。
桜井さんは、東宝からお姫さまを借りたみたいな。50年前だけど(一同笑)」
古谷「変わりません、昔といっしょですね(笑)」
古谷氏は「きょうはアマギ隊員として来たので、シュワッチはやりません」と言っていたが、結局最後にポーズをとっていた。
終了後に飯島氏の『バルタン星人を知っていますか』(小学館)、古谷氏の『ウルトラマンになった男』(同)のサイン会も行われた。
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