【ホセ・ムヒカについて】
ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領は、1985年の演説にて「たとえそれが私たちにひどい仕打ちを与えた人々に対するものであっても、憎しみを選択する人には賛同できない。憎しみは建設的な感情ではない」と語ったという。
平井「いちばん初めに(取材に)行ったのが足立監督で、最後に行ったのがホセ・ムヒカさん。“世界一貧しい大統領”で、福島が一段落して、自分の興味のある方と話したいと。それでウルグアイに行ったら、同じような“寛容”という話で。振り出しに戻るというか」
足立「逮捕とか監獄とか、無縁ではないね(笑)」
平井「憎しみという道を選択する人には賛同できない、と。この言葉は、8年独房にいて最初の演説で言ったものです」
足立「政治的な意味では、ウルグアイの政情の中で旧体制が批判されていて、ネルソン・マンデラも同じことを言ってる。彼らは何度も殺されかかってるけど、相手を憎悪しない。それが徹底してあって、自分たちを取り締まる敵対勢力を恨むけど、個人は人民であるから恨まない。ルールというか、そういうものがあるんですね。比類なき同志と思ってたやつに裏切られたり、でもそういったことは恨むものではない。人生の経験で培われたのだと思います」
平井「寛容と聞いてちょっと拍子抜けした、と言ってしまうと失礼だけど。革命はかっこいい、ゲバラはかっこいいと思ってたけど。カストロは資本主義と断固戦うとか、ツバマロスとか」
足立「もっとも非妥協な戦いをした。自分の振りかざす正義は一方のもので、妥協して敵をやっつければいいというものではないという、難しい道を選ぶ。政治力や軍事力でバババとやるんじゃなくて。“寛容”が重要なモラルになってくるんですね。
ぼくはアラブにいたんだけど、南米から人がお見えになって、ツパマロスは南米の開放という具合に地域を大事にする。世界同時革命みたいな大風呂敷を広げない。アメリカとその手先にような独裁、アフリカもそうですね。そういう二重の植民地主義に対する闘争をする。ぼくがアラブにいたころは、マンデラさんもトコトコ歩いて。南米が開放されて、2番目が中南米だろう、難しいのがパレスチナかなと話してましたけど。南米の人たちの解放闘争の伝統は、いちばん強かったですね」
平井「そういう方たちが、キューバとアメリカの国交回復のキーマンになったんですね」
足立「(ホセ・ムヒカは)キャッチフレーズで“いちばん貧しい大統領”とか書いてるけど、もともと贅沢したことがない。権力欲もない。(彼のほかに)ウルグアイを発展させて、途中まで間違わずにやった人はいない。だんだん壊れていきますよね。そういう意味で、なかなかの人物ですね。長年入ってたからね。監獄に入ってると、豊かな時間を手に入れる人がいる。一種の英雄で」
【福島について (1)】
足立「3.11をどう受けとめたか。安全神話で、産業構造を守って。それは間違いですが、私も現地を回って推進してた人に訊いて回ろうとしたんですね。反対は正論だけど、何故推進せざるを得なかったのか。原発は地獄の釜で、その上にふたをする。そこまで自覚してない人もいるけど。(推進派も)内心は忸怩たるものを持っている。福井や玄海に行ったけど、彼らは危険なことを判っていて。当初は(原発によって)地域のコミューンを復活させたいと言っていたけど、実はコミューンはなかった、成功したところはどこにもないと言うんですよ。ふるさと税とか一連のマニピュレーションもあったけど。共同体はかつての日本の精神運動として重要で、全体主義を平気でやる風土が歴史的にある。かつての共同体を復活させようってのはまだいい方で、そういう人が言ってるのは、並みの原発反対の言葉じゃない。恨み、自分に対する恨みでもある。引き受けるしかないじゃないかという。玄海の議員は、公明党と共産党はがんばってて自民党は逃げた、そういうことも含めて引き受けざるを得ないと」
平井「車の免許とって、週刊誌の記事をやるようになって。食と農のプロジェクトの人が足りないと、これだけ来てるなら判るでしょ、と。地方都市最大のプロジェクトですけど。それで農地の線量を測っていたりしたら、農家さんや行政から止めてくれと。民間でもいらないって人がいて、どんどん分断されて、戦う相手みたいになっていくんですね。
日本はしがらみまみれの多数決しか機能してない。監督がおっしゃったように、福島から何かが生まれてくると。住んでいる方の誰もが、何が安全か、何が食べられるか食べられないか、それぞれの命のことを考えざるを得なくなって。命に対して真摯に向き合わざるを得ない」(つづく)