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三谷幸喜 インタビュー “自信喪失の理由”(1997)・『総理と呼ばないで』(2)

――ところで、三谷さんは、来年の仕事を一度、白紙にしたそうですね。つい最近、思い直したそうですが、引退を考えてた?(引用者註:舞台『巌流島』が、台本の遅れにより初日延期。主役級の陣内孝則が降板したゆえ)

 

三谷 あの時は、テレビも舞台もやめて、多分、よっぽどのことがないとまた筆を持つことはないのかなと思ったんですけど。

 

――引退をやめた理由は?

 

三谷 『総理〜』が、思いのほか受け入れられなかったのが、逆にバネになりましたね。今のドラマを見て喜んでる人たちに、世の中にはもっと面白いことがあるんだってことを伝えない限りは、これはやめられないぞって…。ダウンタウンの松本さん(「去年見たテレビで最も感銘を受けたのは、『ごっつええかんじ』で松本松本人志さんがやったトカゲのオッサンなんです。僕はそれだけをビデオにまとめて保存してあるんですよ(笑)。これにどれだけ勇気づけられたことか…」)が偉いと思うのは、僕たちに面白いことは何かということを伝えることを使命のように感じてやってらっしゃるじゃないですか。それって大変なことだと思うんです。松本さんががんばってるんだから、僕も、と思いました。

 

――舞台の話ですが、去年の『笑の大学』は、作家としての決意表明だと評価されましたね。あれは本当にそうだったんですか?

 

三谷 いや、何も考えてなかったです(笑)。本当に反省してるんですけど、『巌流島』で頭がいっぱいで。ただ『笑の大学』も、脚本としては不満なんですよ。最後に、あの二人が感動してるんです。登場人物たちが感動してるのを見て、お客さんがグッとくるというのは、よくないと思うんですよ。理想的なのは、登場人物たちは、全然成長してないし、感動もしてないんだけど、見てるほうには、感動があるもの。その意味では『ショウ・マスト・ゴー・オン』は、わりと理想に近い気はします。  

――そういう感覚は日本人離れしてると思うんですが。

 

三谷 こういう見た目ですけど、心はアメリカンですから(笑)。原点は、やっぱりアメリカ映画とアメリカのドラマなんです。それを僕なりに再生してるという感じなんですよ。

 

――映画も含めて脚本家としては、自分を少数派だと思いますか?

 

三谷 そうですね…。まあ、それがあるから何とかやっていけるんだと思いますけど。ただ、自分を異端者だとは思わないです。芝居で考えるとわかりやすいと思うんですけど、僕がやってるのは、オーソドックスなものだし。それが今、逆に本流でないと見られてしまうのは…。

 自分で映画を撮ることになって、意識的に日本映画を見るようにしてるんですけど、これが面白くないんですね。『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』は3分の2しか見なかった。それ以上は耐えられなかったんですよ、いい映画とは思うんですが。あと、僕は映画を撮るのは初めてなので、いろんな方の監督第1作を見たんですけど…。『ジュリエット・ゲーム』とか『河童』、『稲村ジェーン』に、ええっ!?となって…。それからコメディを撮るんで、『さすらいのトラブルバスター』も見ましたけど、これにもぶっ飛びました。

 

――面白かった作品はないですか?

 

三谷 『その男、凶暴につき』と『お葬式』と『麻雀放浪記』。やっぱり凄い人の第1作は凄い。それから、伊丹伊丹十三さんと周防周防正行さんは、やっぱりずば抜けてますよね。あとはちょっと、僕はついていけなかった。劇団をやってた時は、自分の劇団以外は全部敵だと思ってて、ドラマも、僕がやってるドラマ以外はやっぱり敵だと思ってたけど、さらに強大な敵がいたって感じなんですよ、今。

 

――日本映画という敵ですね。そんなにレベル低いですか?

 

三谷 そういう問題じゃなくて、もう別ものですね。僕がずっと見てきたアメリカ映画と日本の映画では。ジャンルが違うどころの話じゃなくて、違う媒体みたいな。衝撃を受けました。

 

――映画は、以前からの夢でした?

 

三谷 ええ。ただ、僕はこういう活字媒体では強気になっちゃうんですけど根は気が小さいので、人に指図したりって苦手なんですよ。だから、今後映画監督になっていくことはないでしょう。だから偉そうなことが言えるんで。とにかく監督をやるので、最近は、はっきりしゃべるように努力してます。あと、映画のスタッフさんは、怖い人が多いらしいので、性格のいい人をお願いして…

 

 以上、「週刊SPA!」1997年7月2日号より引用。 

 『総理』に関して後年の三谷氏は、ドライな笑劇を意図したシナリオを感動的に盛り上げる方向で映像化したゆえ失敗したと総括する(『三谷幸喜 創作を語る』〈講談社〉)。

 三谷氏が自身の作品についてかつて接したアメリカ映画などの「僕なりの再生」と表現したり、『奥さまは魔女』(1964〜72)のように登場人物が成長しないことにこだわったりする点は最近と変わっていない。ただしインタビュー序盤で触れられた当時の夫人の小林聡美氏とは、2011年に離婚。また「今後映画監督になっていくことはない」と言っているが、近年は映画監督としての印象が強いほどで月日が流れたことが実感される。

 

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