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野沢尚 インタビュー(1999)・『氷の世界』(1)

 脚本家・小説家の野沢尚が世を去って今年で10年。多数の映画・テレビのシナリオを手がけ、江戸川乱歩賞を受賞した『破線のマリス』(講談社文庫)や『深紅』(同)など小説作品にも進出していて全く順風満帆に思えた野沢の突然の死は、大きな衝撃をもたらした。

 筆者は、自慢ではないが(笑)一般に知られる前から野沢氏に注目していたマニアックな野沢ファンだった。彼のインタビューなども蒐集していたけれども、没後10年を機にそれらを紹介してみたい。

 テレビ『氷の世界』(1999)のスタート直前の時点の記事が、なぜか手元に複数ある。1997年に乱歩賞を取り推理作家としても注目を集めた野沢氏は、1999年には『結婚前夜』と『眠れる森』のシナリオにより向田邦子賞を受賞。小説とシナリオを両輪とする作家として認知された時期であった。乱歩賞作家で、シナリオライターでもある野沢氏は双方のキャリアを活かすべく『氷の世界』のような推理ドラマを志向していた。

 以下に引用するのは、筆者が古本で入手した『TV LIFE 秋ドラマの本』(学習研究社)に収録されたものである。氏が『親愛なる者へ』(1992)など過去に手がけたテレビ作品や小説、新作について話している(字数の都合上、野沢氏の発言に絞り整理しました。注釈は、引用者によるものと原文にあったものとが混じっています)。

 

【シナリオ創作のノウハウ】

(『親愛なる者へ』のころ)大多さん大多亮プロデューサー)は当時『東京ラブストーリー』や『愛という名のもとに』で数字的な極みまでいっていましたからね。次にやるのは視聴率は気にしないで、冒険してみたい、と。彼は中島みゆきの『悪女』をモチーフにした不倫劇をやりたくて、僕は夫婦の恋愛ドラマをやりたかった。そこで思惑が合致したという感じでしたね。大多さんはトップの位置にいるプロデューサーでしたから、それに対抗するにはどうすればいいだろうって考えたんですよ。で、とにかく最終回までのプロットを作って、登場人物の細かな履歴書も作って、自分がこういうことをやりたいんだということを最初に見せてしまおう、と。やりたいことを100%見せて、その中で、78割でもできればいいという、そういう闘い方をしたんですね。そのやり方は、今でも連ドラを書くときの僕の基本となっていますね

親愛なる者へ

親愛なる者へ

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 多分、僕くらいでしょうね、そういう(連続のスタート前にプロットを全て作るという)やり方をしているのは。やっぱり連ドラは生モノで、視聴者と一緒に育てていくという感覚があるからなんでしょうね。それを一概には否定しないけど、僕にはそういう作り方は到底できない。12回なら12時間を1つのドラマとして、視聴者はそれを全部見るんだという前提で、最初から最後まで計算して作ります。その手法は『眠れる森』でミステリーをやり始めてから、特に生きるようになりましたね。ミステリーは計算しないとできないですから

 脚本家にとって一番大切なのは、協調性ですよ。これは自分が小説を書くようになって非常によく分ったことですけど、やっぱり必要なのは人の海の間を泳ぐ才能ですね。いろんな要望の海の中を泳いで、それはやりますから、その代わりにこれは絶対やらせてくださいとプロデューサーと取引をしたり、どうしてもロケができないと言われれば、シチュエーションを変えたり、そういう柔軟さが必要ですよね。要するに脚本っていうのは、集団作業の楽しみが味わえる、極めて体育会系的なノリなんですよ。みんなで頑張って、1つの作品を作ろうという。対して小説というのは個人作業で、成功も失敗も全部自分のものという世界つづく

 

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