私の中の見えない炎

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原恵一 × 安藤真裕 トークショー レポート・『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』(3)

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【『暗黒タマタマ』以後のしんちゃん (2)

 第7作『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』(1999)ではゲストの温泉の精役の声を故・丹波哲郎が好演。往年の特撮映画のねたなど、かなりマニアックな内容であった。

 

「『温泉わくわく』、これが興行は最低でした。丹波さんの力を持ってしてもダメだった。安藤さんには野原一家が火の玉になって突っ込むシーンをやってもらいました」

安藤「うわ、短いけど大事なシーンだから気楽にできねぇって思いましたね」

「安藤さんには、ちょっとでも関わってもらいたいと思っていて。(スタッフだった)安藤さんも湯浅(湯浅政明)さんも、みんな監督になっていって、ぼくとしてはちょっと淋しいですね」

 

 9作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)の大好評を経て、第10作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)ではシリアスな時代劇に挑戦。この作品をもって、原氏は映画『しんちゃん』の監督を退く。

 

「『クレヨンしんちゃん 雲国斎の野望』(1995)でやり残したっていうか。前の『オトナ帝国』が興行的にもよかったので、やりたいことができる状態ではあったんです。

 (映画『しんちゃん』では)毎年濃密な時間を過ごしたなって、いい想い出として残ってるね。自由度の高さが、ありえないくらいでしたから。日常ありアクションありで、どんな分野が得意なスタッフにも居場所がある。シリアスの後に笑いのシーンもあって、何の脈絡もないというか(笑)」  

【その後の作品】

 しんちゃん以後、原氏は『河童のクゥと夏休み』(2007)、『カラフル』(2010)、『はじまりのみち』(2013)を発表している。

 

安藤「『河童』は原さんそのものみたいなフィルムでしたね。仁王立ちしてるというか、男らしいですね」

「嬉しいこと言ってくれるね(笑)」

 

 『カラフル』は長年在籍した制作会社・シンエイ動画を初めて離れての仕事であった。

 

「シンエイでは作品が決まっている情況で(企画が)降りてくる。キャラクター開発に関わったことはなかったんで。『カラフル』では、ああ単発のアニメはキャラからつくるんだなって。

 スタッフみんなに「キャラに特徴がある」「描きにくい」って言われて、そんなに言わなくても(笑)。よくあんな地味なシーンを描いてくれた」 

 私淑する巨匠監督・木下惠介を描いた『はじまりのみち』では実写映画の監督・脚本に初挑戦。

 

「『はじまりのみち』では依頼があったときにあの題材が決まっていた。(木下監督が)病気のお母さんを疎開させる話で困りましたよ、それだけで?って(笑)

 ちょうどそのとき、暇だったんですよ。『カラフル』の次回作がなかなか決まらなくて、近所を自転車で走り回ってた。おれの将来どうなるのかなって思いながら(笑)。それで依頼があって、やってみようと。

 原作は監督が書いた短いコラムで、つくっていくうちに便利屋(濱田岳)とか(木下監督の)『陸軍』(1944)をからめたりして膨らんでいったんです。

 撮影が始まるまで怖かったよ。どんな現場になるのか、ビクビクして無我夢中でした。ガンガン指示できないから黙ってたら、スタッフに「落ち着いてるね」って言われて。得ですね(笑)

 『しんちゃん』のころは毎年終わってよかったなって思ってた。でも『河童のクゥ』とかになると喪失感でぽっかり空洞ができちゃって、出来上がって嬉しかったはずなのに何でこんなに淋しんだろうって…」

 

【その他の発言】

安藤「ぼくのなかでは原さんはザ・監督。(現場では)内心の揺れを見せずにジャッジしていく。(自分も最近監督していて)そうなりたいと思いますね。あと、人の腕が切れたときはこうするとか、時おり見せる変態性が…(笑)。

 原さんはテレビアニメとか見てないんです。「大きい目玉の女の子がキャピキャピしてるんでしょ」って(笑)。 

 アニメーターってアスリートに似ていて、本番で投げるためには毎日練習しなきゃいけない。止めた途端にできなくなる。いまは演出する時間が長くなってるから、前はすっと描けたのに描けなくなってる。原さんから(スタッフとしての)オファーがあっても、あのころのおれじゃないみたいな(笑)」

 

 安藤真裕氏のお話を聴くのは今回初めてだった。筆者が見た作品の中で安藤氏が担当されたというシーンは特に強烈だったけれども、ご本人は実に穏やか、朗らかな話しぶりだった。