私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田洋次と横尾忠則・『男はつらいよ お帰り 寅さん』

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山田洋次映画に横尾忠則の名前が混じっては困ると彼が本能的にガードしてるんだなって。それでも、どこかで山田さんから「あのアイディア、とてもいけると思いましたから使わせてください」と挨拶があるはず、と期待してました」(「週刊ポスト」2020年1月17・24日号)

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大森一樹監督 インタビュー “映画と復興”(2011)(3)

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大森「原発の被害で避難している人たちのところへ行ってパンを配るとかいうよりも、原発の避難の仕方はこれでいいのかという声をまとめていく。何か考えたらいいんじゃないかな。そのための情報を集めていくことが大事じゃないンかな」

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大森一樹監督 インタビュー “映画と復興”(2011)(2)

井上「次の日、大震災当日には東京へ?」

大森「八戸に泊まって、次の日、大阪へ飛行機で帰ろうかと思うてたんやけど、他の人たちがみんな東京へ帰ると言うから東京へ行って、次の日、東京から大阪へ帰ろうとしていた頃に揺れて…。下北沢に、一部屋を事務所兼で借りてるんやけど、3階なんやけど、これも堪らんほど揺れてやな。神戸でも遭ってるんやけど、神戸の時は夜寝てて、あれは夜明け前やったから布団の中に入っていたから、布団被っていたけど、今回、真昼間やったから、周りが全部見えて、窓越しに隣のビルが揺れるから、明るい時って恐いなと思うた」

井上「私はあの日がクランクイン初日で早くに眼が覚めた直後でしたから、揺れた時のことはよく覚えていますよ」

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大森一樹監督 インタビュー “映画と復興”(2011)(1)

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 1995年の阪神大震災で被災した大森一樹監督。当時の体験をつづった著書『震災ファミリー』(平凡社)もあり、被災した映画人として東日本大震災後に改めてインタビューに答えている。日本映画監督教会のサイトに載っていたが、なくなってしまったので以下に引用したい。聞き手は井上泰治監督が務める(用字・用語は可能な範囲で統一し、明らかな誤りは訂正した)。

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酒井和歌子 × 高崎俊夫 トークショー レポート・『仮面の花嫁 暗闇へのワルツ』『死角関係 隣人夫婦男女四人のからみ合い』(2)

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【『死角関係』(2)】

酒井「理屈じゃなくて、自分が動けるか動かないか。頭で理解して動くってタイプの人はダメかもしれません。私はとりあえずやってみて、自分がついていけなければ動けない。頭で考えるより言われたことを先にやるかな。そのへんは感覚が合ってないとやりにくいかもしれません。

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