私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

高村薫 インタビュー(2002)・『晴子情歌』(3)

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Q:どうしても書けなくて、困り果てることはありますか? 書いてる途中の息抜きや気分転換にピアノを弾くことはありますか? また、最近、ご趣味の山登りはされているのですか?

 

A:しょっちゅう煮詰まっています。けれども、煮詰まったときに気分転換をしても、道がひらけることはないと思います。私は本当に仕事が趣味なので、何をしているときが一番幸せかと言うと、原稿を書けているときなんです。原稿を書けないときはつらいのですが、だからといってそれを脇に置いて他のことをしようという気にはなれない。必ず煮詰まった理由があるということを信じて、それは何かを考えて探します。そうして、できる限りで解決することによって次の1行を書くことができると、それまで2〜3日苦しんでいたことを忘れてしまうんです。

 今は、ピアノを弾くことはないですね。人様の名演奏を聴いていたら、自分のへたなピアノを聴く気にはなれません。コンサートには年に1〜2度は行きますが、ほとんどステレオで聴いています。山登りはもう何年もしていないですね。

 

Q:OL時代の高村さんは周りから浮いていたのですか? また、OLから作家になろうとしたその間の気持ちはどのようでしたか?

 

A:典型的な「9時から5時型」でした。わかります? 9時にちゃんと出社して、5時にちゃんと帰る会社員。トラブルもないし、女子社員の中でもめたこともない。可もなく不可もない、とても恥ずかしいくらい平均的な勤め人でした。ちょうど「キャリアウーマン」という言葉が出てきた時代でしたが、私にとってキャリアウーマンなんて雲の上の存在でした。

 私が勤めていた80年代半ばはものすごく景気がよくて、女子社員でも1回のボーナスが100万円くらい出たんですよ。それで当時70万円のパソコンを買って、買うと使いたくなって、暇つぶしに文章をつくったのが小説を書くきっかけでした。で、書いたら誰かに読んでもらいたくなって、親や友達に見せるのは恥ずかしいから日本推理サスペンス大賞に応募したんです。ですから、ボーナスが余ってパソコンを買ったのが作家になるきっかけです。もっと突き詰めたら、バブルのおかげですね。もし、同じことが今の時代に起こったら、仮に賞をいただいても、私はお勤めを辞めなかったと思います。

 作家としてやっていく自信はまるでありませんでした。今だってありません。物書きは一作、一作が勝負で、一度マーケットに「ノー」と言われたら、まったく違う形に化けるか何かしないと再起が非常に難しい。一回、一回がバクチなんです。でも、永遠に勝ちつづけるバクチはないですよね。 

晴子情歌〈上〉 (新潮文庫)

晴子情歌〈上〉 (新潮文庫)

晴子情歌〈下〉 (新潮文庫)

晴子情歌〈下〉 (新潮文庫)

Q:今後の出版スケジュールなどを教えていただけますか?

 

A:『マークスの山』の文庫が、おそらく今年の秋には出ると思います。当初は単行本からそんなに変える予定はなかったんですが、読みはじめてみると気になるところがいっぱいあって、今、どうしようかと悩んでいるところです。もちろん話は一緒、登場人物もそのままですが、全面改稿になったらどうしましょう。上巻だけ変えて下巻をそのままにしてみようか、なんていうことも考えているんですが、そうすると読んだ人はびっくりするでしょうね(笑)。

 彰之の物語、つまり『晴子情歌』の第2部が出るのは再来年(2004年)の予定です。今度は彰之の父親について書こうと思っているので、父と子の話になると思います。今月末(7月末)に、また青森に行ってきます。一から取材と勉強のやり直しです。学生時代にこれだけ勉強していたら、私はバリバリの官僚になっていたでしょうね(笑)。 

以上、BOOKアサヒコムより引用。 

マークスの山〈上〉 (新潮文庫)

マークスの山〈上〉 (新潮文庫)

マークスの山〈下〉 (新潮文庫)

マークスの山〈下〉 (新潮文庫)