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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

小原乃梨子講演会 “声に恋して” レポート(2)

小原乃梨子 藤子不二雄

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【吹き替えの想い出 (2)】

 声優って何でしょうね。いまではなりたいって人もいて、最近伺いましたけど、コミュニケーション学科に声優科ができるそうですね。それほど市民権を得たと。

 『逃亡者』(1963)の声の矢島正明さんとか、第一次声優ブームが起きました。第二次声優ブームになると、当時のNET、いまのテレビ朝日の「日曜洋画劇場」の時代です。「さよならさよならさよなら」のあの方とか(笑)。映画館に行かなくても、お茶の間でお茶飲みながら映画を見られるなんてって。私もたくさんの役をいろんな局でやって、でもだんだんフィックスして、BB(ブリジッド・バルドー)とか。そういう方たちと三十数年を過ごすことになりました。

 スターの方は、これがやりたいという役をなさる。ウーマンリブの時代はそういう映画、反戦運動ならそういう映画、JF(ジェーン・フォンダ)はそんなリーダー役。BBは色っぽい役ですね。JFが面白いのは、チェーホフの「かわいい女」みたいなところ。「かわいい女」のヒロインは、ご主人が亡くなって何度も再婚するけど、ご主人の意見を自分のことみたいに話す。JFはそれを地でいくような人です。ハノイまで行って反戦を訴えたり、政治に俳優が口を出すのも平気。その後CNNの会長夫人に収まって、最近見たら整形したらしくて、どこがJFかなって。そのCNNの方とも別れて。エリザベス・テイラーが8回結婚したのも、判らなくもない。リハーサルとかで会うと役の方に見えちゃって、結婚してみてあれ?って(笑)。俳優という仕事は、とても感情に素直になって。離婚がいいとは言いませんけど。

 

【アニメーションについて】

 洋画と平行して、アニメーションでも美女ばかりやってましたので(笑)、男の子(の役)が来たときは驚きましたよ。色っぽくチュッチュしてましたから(笑)。でも打ち上げとかで男っぽいところがあったんじゃないですかね。声は4オクターブくらい出ますので、低いところか上までいくので、できると思われたのかな。

 アニメーションは『海底少年マリン』(1969)からで、(主人公の)目が青いんですよ。ブーメランでバーッとやったり。主題歌も唄いました。いまでも覚えていて、カラオケで唄わされて(笑)。熊倉(熊倉一雄)さん、那智野沢那智)さんが私の手下で。一家みたいな感じでした。(声優は)実働200人くらいで、どこ行っても会う。とっかえひっかえラブシーンとか。

 その後は『アルプスの少女ハイジ』(1974)のペーター、『未来少年コナン』(1978)。『ハイジ』は、最近トライ(のCM)でやってましたけど(笑)、あるとき「あのう、すみません。ペーターが色っぽくなってますけど」って言われて(一同笑)。自分ではさらさらなくて、でもどこかで引きずってる。

アルプスの少女ハイジ リマスターDVD-BOX

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 この番組はすごいと思ったのが『未来少年コナン』。俳優が、ワッこの次はどうなるのって思いました。『コナン』は宮崎(宮崎駿)さんが監督なさって、26本しかないけどすごく人気のアニメでした。再放送を希望するはがきが届いて。NHKは、アニメは子どものものと思っていたのに、サイン会をやると大学生が来て、「ダメダメ、大学生は」って言ってたけど(ファンが多いと知って)驚いて。NHKしかないころから子役でしたから、NHKは学校みたいな感じです。

未来少年コナン Blu-rayボックス

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 ドラちゃんも26年で長寿でしたけど、日本テレビでやったこともあって、そのときはママ(の役)でしたね。『ヤッターマン』は10年。2008年にまた始まって、(実写)映画にも出ました。『超電磁マシーン ボルテスV』(1977)ではふたつの役で、同じ場面でいっぺんにやったこともありましたね(笑)。

 アニメは紙でパラパラッとするもので、いまはデジタルになってますけど、生身の人間が動くのは違うでしょう。そこで(演技に)カリカチュアライズが入って、戯画化というのがアニメと合うのかなと。アニメっぽくやると、いやーんもう、とか。普段やったら気持ち悪いでしょ(笑)。『ドラえもん』は少し不思議なホームドラマと思っていて。

 こんなに長い時間が経って、みなさんの前にお話できるとは夢にも思ってなかったです。YouTubeに『小川宏ショー』とかドラマの映像とかをアップしていただいて、私にも若いときがあったということを(笑)。スタジオがあってスクリーンがあって、調整室にプロデューサーやディレクターの方が入って私たちの演技を見ているわけですね。60年近くたって自分の目で見られるなんて、ジョブズさんに感謝しないと。 

【『ドラえもん』について】

 『ドラえもん』(1979〜2005)に関しては、その前に『ハリスの旋風』(1966)や『国松さまのお通りだい』(1971)で大山(大山のぶ代)さんとコンビで、私は弱っちい少年役で、そのイメージでって、ディレクターの方に言われました。

 男の子ってどんなに小さくても、とてもプライドが高いのね。“ぼくが”ってのが、ちゃんとある。弱っちいのび太くんにもある。毎回は疲れてできないけど、1年に1回映画ではヒーローになる。(原作の)藤子(藤子・F・不二雄)先生は“ぼくがのび太ですから”っておっしゃって、素敵ですね。

 『ドラえもん』の最初(の収録)で私が風邪ひいて、仕様がないから(収録をせずに)そのまま新宿の何とか飯店で打ち上げになって、みんなに感謝されましたね(笑)。私だけ小さくなって。6社提供で、東宝シンエイ動画とかいろいろなところが組んで、藤子先生や私たちをしっかりガードして。何回も海外に行きましたね。1年目にどこか海外に行くって話になって、どこだっていったら函館。たしかに海外だ(笑)。最後は大山さんの提案で、ラスベガスとサンフランシスコに行きました。

 藤子先生が亡くなられてから、特にプロデューサーの別紙(別紙壮一)さんが矢面に立って守ってくれて。

 こないだ神保町(リバイバル上映)でサプライズでしずかちゃんと私が出て行ったら、いまの人(声優)たちが泣いちゃって。10年もやって、10年やったら本物よって言ったら“小原無双”って新聞に書かれましたけど(笑)。何でも10年やれば、教える側に回りますよね。(つづく)