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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

中島丈博 トークショー レポート・『祭りの準備』(2)

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【『祭りの準備』について (2)】

 『祭りの準備』(1975)で特に強い印象を残すのは、主人公・楯男(江藤潤)の祖父(浜村純)と、ヒロポンで一時的に頭のおかしくなったタマミ(桂木梨江)とができてしまい、結果的に祖父が首を吊るという展開。これにも中島丈博先生の実体験が投影されている。

 

中島「ぼくの旧友に宮原くんっていうのがいて、彼の親父がああいう女とセックスして同棲したと。宮原くんには話してなかったけど、彼が現場へ来て“あれ、おれの親父じゃない?”って。夜、“丈博飲もう”って。怒られると戦々恐々として行ったら、“お前、ようおれの親父書いてくれたな”と言ってくれて、安堵しました。

 (実際には)首くくりじゃなくて、猫いらずを飲んだんですよ。“わしは親父を背負って中村まで二里の道を歩いていった”と。そのとき、親父の口から猫いらずのにおいがしてほんとにつらかったって。ぼくは彼に取材しなかったから。宮原くんにあの主人公はお前だって言ったら、“わしはシナリオなんか書かんぞ”って言ってました(笑)」

 

 楯男を抑圧する母親(馬渕晴子)がまた強烈。父親ハナ肇)は乱脈な女性関係を持つ。

 

中島「何か何までくさすのもなんですから、馬渕晴子さんはよくやってくれたと思いますよ。ハナ肇が帰ってきたとき、台をバーっと横にする。ああいうのは現場の演出で、効いてる。馬渕さんが、鬼婆の形相で“たておーっ”って追いかけるのがよかった。ただ、誰も彼もがよかったとは言い難い」

 

 楯男は竹下景子のヒロインに憧れているのかと思ったら、中島先生の意図としては、そうではないらしい。

 

中島「青春ドラマの類型に持っていこうとしたことに間違いがあった。竹下景子は愛されてない。楯男にとってはどうでもいいんだけど、どうでもよくないというふうに見せたいという媚が監督にあった。シナリオの通りに丹頂鶴というふうに描いたほうがいきいきしたんじゃないかな。

 私をモデルに書いたと巷間言われてますけど、もっと普遍性のある作品として発表したかった。私と同じ人間がスクリーンにいると思わないでいただきたい(笑)」

 

 この作品のクライマックスで、竹下景子を脱がせていると火事になるシーンがあるが、その胸が吹き替えではないかという疑惑がある。

 

中島「ぼくはね、撮影のときにいたんですよ。あそこの火事のシーン、現場に入れてもらえなかった。露出するから、最低限の人数しか入れさせない、と。多分、本物じゃないかな(一同笑)」

 

中平康の想い出】

 『祭りの準備』は、主人公が母を振り切って上京するところで終わる。上京後の話も語られた。

 

中島「シナリオ研究所を卒業して、キャバレーのボーイとかしてて、そういう仕事は時間があるから暇があると脚本書いて。ぼくの2番目の姉がいまして、彼女が中平さんの戦友と知り合いで、ぼくに中平さん(中平康監督)への紹介状を書いてくれるそうだから行けと。ぼくは中平さんが好きで、同じ高知出身で。あのころスタイリッシュな映画をつくってて、真似して書いた(笑)。それで高田馬場へ持ってって、奥さんに渡して。電話したら“うーん”とか言って“読んだけどつまんなかった”と。後で手紙が来て、“歯に衣着せず言いますけど、きみは高知に帰ったほうがいい”と。でも自信作を出したわけじゃなく、軽佻浮薄なもの、銀座のバーでとか中平さんの好みそうなもの、おもねったものだったから仕方ないかなって。

 (後になって)ぼくは大塚和さんっていう民藝のプロデューサーに可愛がられて、渋谷にとん平っていう飲み屋があって、連れていかれて。たまたま中平さんがいて挨拶したら、何も言ってないけど、彼の表情見て判って。“中島くん、新人はね、ひとりじゃ戦えないよ。だからみなでつながって世に出ないと。ぼくなんかもそうだよ、増村保造とかあの当時の同期の監督と出たから、きみたちも”って、なかなか殊勝なことをおっしゃっていました(笑)。そのころは浦山(浦山桐郎)さんと書いてる最中で、まだざまあみろっていうほどの作品は(自分には)なかった」

 

 ちなみに『祭りの準備』の母の台詞で、死んだ初恋相手の男の名が「中平さん」である。

 

【『南の風と波』】

 中島先生には『祭りの準備』以外にも、映画『南の風と波』(1961)、『郷愁』(1988)、テレビ『独身送別会』(1988)など自伝的な作品の系譜がある。

 

中島「『南の風と波』は師匠の橋本忍さんが監督で、ぼくの育った高知を素材にした。これだけでなく、体験記を映像化したものは結構ありますね。

 ぼくだけの作品じゃなくて、橋本さんとの共作なんですね。オリジナルで書いたものを、橋本さんが目の前に手を入れて、ふたりでつくり上げたんですね。アウトラインは変わっておりませんが、つくり方を実地に勉強でき、役に立ちました。

 ロケにも行って、ずっとつきっきりで助監督みたいなこともやってた。橋本さんは正統的な演出で、乱調ではない。カメラマンの中井(中井朝一)さんも正統的なカメラワークで、ちょっと不満でした。現場行って、子役が飯田蝶子のそばへ行くと“くさい”って鼻をつまむ。“子どもは先生、そんなふうにつままない”って言う。(自分でつまんでみせて)橋本さんが、“中井さんどう?”って言うと、“顔が隠れる”って。意見を言っても採用されない。でもサードの助監督がぼくを頼りにして、後ろの人の動きをどうすればいいかってぼくに相談してきて。子どもの動きとかも、ぼくが注進して、彼が演出した。

 出来上がって無難かなって思っていたんだけど、最近神保町の映画館で見直したら感動してね。ほんとにきちんと撮ってる。いまの映画であんなのないですね。隅から隅まできちんと撮ってて、演出が際立って面白いところはないけど、感動がありましたね」