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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

妻への恋文・ジェームス三木『存在の深き眠り』

テレビ 書籍 批評・感想

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 かつて女性問題で世の話題をさらった脚本家・ジェームス三木。朝のテレビ小説『澪つくし』(1985)、大河ドラマ独眼竜政宗』(1987)をたてつづけに大ヒットさせて時の人だった三木の不倫を、1992年に当時の妻(山下典子)が暴露した。近年のインタビューで、三木は当時の騒動を振り返っている。

 

妻に反乱を起こされた後、それまで押し寄せていた波がさーっと引いていくようでした。講演はすべてキャンセル、脚本やテレビ出演の仕事もなくなりました。みっともないので弁解はしませんでした」(「朝日新聞」2014年6月13日)

 

 自身の女性問題についてさまざまな弁明を重ねた岡田斗司夫とは異なり、一切言いわけをしないのが三木の大きさを感じさせる。

 

僕はNHK大河のおかげで今があるといっても過言じゃないんだ。’95 年に『八代将軍吉宗』を担当させていただいたんだけど、このとき僕は離婚問題で各方面から干されていて、どん底の時期だった(苦笑)。脚本家として廃業するんじゃないかと思っていた。そんなズタボロのなか、NHKの川口会長(当時)は、『八代将軍吉宗』の執筆を依頼してきたんだよ。報道陣からの“人間性に問題がある人を脚本家として起用するのはいかがか?”といった意地悪な質問に対しても、川口会長は“お家騒動は刑事事件ではない。脚本家として期待しているものは変わらない”と擁護してくれた。なんとしてでも恩に報いたくて、脚本と向き合ったことを覚えています」(「週刊女性」2015年6月16日号)

 

 『独眼竜政宗』以来の大河ドラマ登板となった『八代将軍吉宗』(1995)は、『政宗』ほどではないけれども高視聴率を上げ、ジェームス三木は脚本家として復活を果たすのだった。

 『吉宗』スタート直前に、三木は「(ブランクのせいで)書きたい気持ちが高まっている」とコメントした(『NHK大河ドラマストーリー 八代将軍吉宗』〈NHK出版〉)。溜まっていたガスが爆発するごとく、『吉宗』のヒット後の三木は、多重人格を扱ったサスペンス『存在の深き眠り』(1996)、日本国憲法成立の過程を追った『憲法はまだか』(1996)、第2代内閣総理大臣黒田清隆を描いた『夜会の果て』(1997)といった秀作を矢継ぎ早に発表。『存在の深き眠り』『憲法はまだか』は、放送文化基金賞を受賞した。また、先のインタビューによれば『吉宗』まで仕事がなかったかのようだが、『吉宗』の前年にも『戦国武士の有給休暇』(1994)を発表しており、こちらも佳作だった。三木の作品歴の中で、スキャンダルを経た1990年代半ばから後半は、意外にもひとつの黄金期だったのである。 

 『吉宗』は、毎週見ていて面白かったのだが、視聴者を退屈させない技巧に感嘆しても、後に何かが残るものではなかった。むしろ凄みがあったのは、『吉宗』の翌年の『存在の深き眠り』と『憲法はまだか』である。

 『存在の深き眠り』は、主人公の冴えない主婦(大竹しのぶ)が柄の悪い男(片岡鶴太郎)につきまとわれるところから始まる。以前お前とつきあって金を持ち逃げされたと男に言われるが、主婦には全く覚えがない。それは、主婦の中に棲む奔放な人格の所業であった。事態は殺人事件に発展し、法廷闘争に突入する。

 当時としては最新の精神医学のトピックを織り込んだ展開の先読みできない怖さ、陰影の強い画面、大竹しのぶの怪演など、興趣の尽きない秀作である。筆者は、リアルタイムでこの作品を1度見て、この度小説版(『存在の深き眠り』〈NHKライブラリー〉)にて展開を反芻したのだが、かなり記憶に残っていたので驚いた(あまり物覚えのよくない筆者にも刻印されるほどのおそろしさがあったのだな)。テレビだと前半が怖くて、後半になると恐怖感が減じてやや失速の気味があったが、小説版では後半に至ってむしろ筆が乗ってきた感がある。テレビは序盤の演出・演技に衝撃を受けても、やがて見ているこちらが慣れてしまったのに対して、映像や演技がなく文章だけの小説版ではジェームス三木ストーリーテリングに純粋に引き込まれることができたのだろうか。

 『存在の深き眠り』をダークな映像で彩った演出・重光亨彦とジェームス三木とはつづく『憲法はまだか』でもコンビを組んでおり、こちらは憲法成立を重厚かつ超現実的にドラマ化した意欲作である(近衛文麿江守徹〉がいささか美化されすぎ?なきらいもあるが)。二大傑作を手がけた三木と重光は、その後も『葵 徳川三代』(2000)、『最後の忠臣蔵』(2004)、『白虎隊 敗れざる者たち』(2012)など幾多の作品で組んだ。

 先述の『吉宗』スタート時のインタビュー(1994年末)で、三木はこう述べる。 

 

テレビは注文あっての仕事ですから、“ドラマ職人”に徹する。僕は大衆って好きなんですよ。どうも受けをねらって、サービス過剰になってしまう面がある」(『NHK大河ドラマストーリー 八代将軍吉宗』)

 

 一方で、1996年に刊行された『存在の深き眠り』の小説版にはこうある。

 

手錠をかけられたまま表へ出ると、野次馬がいっぱいいた。テレビカメラも何台か待ち構えていた。どけっていうんだよ、このバカたれども。私は大衆って大ッ嫌い。愚かにもこいつらは、ワイドショーの言い分を、丸ごと信じるんだよね」(『存在の深き眠り』)

 

 同時期に発せられた、全く逆の言動。三木のアンビバレントで矛盾に満ちた人物像が伺える。

 『存在の深き眠り』の後半では、複数の人格を持つ主人公(大竹)とその夫(中村梅雀)との夫婦愛が繰り返し描かれる(ふたりが布団の中で互いを紐で結び合うシーンは印象的。小説では「冴えない夫婦」と断じられるが)。

 主人公の奔放な交代人格と恋愛関係になった精神科医細川俊之)は、弁護士で別居中の妻(汀夏子)に弁護を依頼。

 

本堂はまぶしげに、悦子の髪の紫色のメッシュを見た。美貌というほどではないが、肌がつややかで、女の魅力を失っていない。夫婦の対面は半年ぶりだった」(『存在の深き眠り』)

 

 再会した途端に喧嘩になるも、妻は依頼を受諾し、「これはビジネスですからね。あらかじめ通告しておきますが、あなたと仲直りする気は毛頭ありません」と宣告される。だがラストでは、交代人格と別れて淋しさで泥酔している精神科医のもとを妻が訪れる。テレビでは、妻が夫にそっと寄り添うところでストップモーションだった。

 ラストに至って、ふたたび絆を取り戻す?主人公夫婦と医師夫婦。多重人格を扱った息もつかせぬサスペンスドラマは、夫婦和合への道だったのである。特に後者のカップルは、作者の年齢とも近く、真情が投影されていると見ていいだろう。

 前妻の山下典子による『仮面夫婦』(祥伝社)によると、三木のほうが離婚を言い出し、その冷酷さゆえに、山下の中に長年堆積した鬱憤が爆発したという。だが三木は、「反乱を起こ」した妻に実は戻ってきてほしくてたまらなかったのではないか。

 夫婦がやり直すというのはハッピーエンドの定石なので、本作もそれに乗っかっただけとも言えるし、離婚問題を意識したパフォーマンスと取ることも可能である。だが、ここはうがった見方をせず、あえて素直に作者の心の叫びなのだと受け止めたい…。

 

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