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荒井晴彦監督 × 石内都 トークショー レポート・『この国の空』

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 太平洋戦争下の閉塞した日常を生きる、19歳の里子(二階堂ふみ)。母(工藤夕貴)とふたり暮らしだった家へは、焼け出された叔母(富田靖子)が転がり込んできた。いよいよ本土決戦が迫る中で、里子は隣に住む妻子持ちの男(長谷川博己)と関係を持ってしまう。

 『この国の空』(2015)は、軍人も死体も戦闘シーンも不在で、戦時下の日常を淡々と描く野心的な戦争映画である。1983年に高井有一の原作小説(新潮文庫)を読んだ脚本家の荒井晴彦が映画化を構想。30年以上の歳月を経て、荒井自らの監督で映画化にこぎつけた。『赫い髪の女』(1979)、『Wの悲劇』(1984)、『さよなら歌舞伎町』(2015)など多数の脚本を手がけた荒井だが、監督は『身も心も』(1997)に次いでまだ2本目である。荒井は、かつて澤井信一郎根岸吉太郎といった旧知のベテラン監督に撮らないかと持ちかけたけれども、もっと当たりそうな企画がいい、と色よい返事をもらえなかったのだという。

 8月に新宿にて荒井監督と写真家の石内都氏のトークショーが行われた。石内氏は、広島原爆で被爆した衣類を撮った連作「ひろしま」が特に知られる巨匠フォトグラファー(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 

石内「私は最近空を見上げることが多くなって。金沢八景に週の半分くらい住んでいるんですけど、ヘリコプターが多くて、すごくうるさい。横須賀基地へ向けて、夜中も飛行機が飛んでる。この映画を見ていて、タイトルも含めて現実感がある。70年経っても、見えなくなっただけで何も変わっていない。リアルだねって」

荒井「高校は立川高校だったけど、飛行機はそんなに。うちは小金井だった。でも福生のバーのせがれがいたり、パンパンもいたり、おもしろいやつはいたな」

 

 荒井・石内両氏はともに1947年生まれ。

 

荒井「うちの(母)は大正8年生まれ。おふくろよりちょっと下の世代が(主人公の)里子です」

石内「うちは大正5年です。横須賀の基地で、ジープを運転していたり、普通の人と違いました(笑)。差別されたこともあったけど。私は、小学1年生のときに群馬から横須賀へ出て、カルチャーショックでした。横須賀の基地は、自分が女性であるって子ども心に教えてくれたというかな。そういう匂いが漂ってくる。多分よそ者だから見えてくる」

荒井「生まれたときのことは判らないけど、小学校に行くまでの間にいろいろありましたよ。校舎は真っ黒、塀も真っ黒。陸軍病院もまだあって、空襲の跡とか。『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)は嘘ばっかりで、あんなにいい人が多いわけがない(笑)。あの映画には戦争の跡がないですね。

 傷痍軍人は怖かった。アコーディオンを弾いていて。引き揚げ者っていう言葉が差別で、そういう人が固まって住んでいる寮を親が差別的に言ったり」

石内「引き揚げ者や在日の人は、言われなき差別を受けましたね」

荒井「長じて勉強すると、原爆の人もね。引き揚げ者は加害者にして被害者。日本にはこういう人をさらに差別していくっていう(構造がある)」

 

 映画『この国の空』は戦時中であっても、虐殺や暴力のようなシーンはない。

 

荒井「もっと戦争を知らない世代がツイッターで「戦争が描かれていない」とか「不倫なんか」とか(笑)。そういうステレオタイプな戦争観を、どこで植えつけられたのか。ただ戦争反対では、戦争を止めるために安保法制をっていうのに抵抗できない」

石内「よく「写真が綺麗すぎる」と批判される。戦争に対して、モノクロのイメージしかないんですね。実際には(衣服に)いまも、色が残っているのに」

荒井ベトナムの写真展へ行ったら、首が2つある子どものための服があって。あれも綺麗だったけど、ぞっとするよね」

ひろしま

ひろしま

 劇中に多いのが食事のシーン。

 

荒井「ギリギリまで映画館もやってて、お店もあって、いろいろな人の日記を読むとビールを飲んで肉も食べてて」

石内「食事にリアリティがありましたね。食べることとセックス」

荒井「することがそれしかないからね(笑)」

 

 ラストシーンは、主人公がカメラを凝視するシーンのストップモーション

 

石内「戦いはこれからっていうのが、いまにつながってる」

荒井「戦争が終わってよかったって言って、戦争責任を考えずに来てしまった」

石内「この映画はストレートじゃないからいいというか、考えさせることの重要性がある」

荒井「悲惨にしても、結局は血糊なので慣れちゃうし。

 殺されるんじゃなくて、殺すのが厭だっていうほうに行かないと。彼(塚本晋也監督)は『野火』(2015)じゃなくて(同じ大岡昇平の)『俘虜記』(新潮文庫)をやるべきだったね」

 

 エンドロールでは二階堂ふみが、茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」を朗読する。

 

石内茨木のり子さんの詩は、女性が性欲を含めていかに自立していくかを描いていた。自分で考えないとっていう、自責の念も含めた応援歌かな」

荒井「エンドロールに詩はどうかなって考えたとき、あれが念頭にあった。神社で「女の人には、何をやっていても美しく見える時期ってあるんですね」っていう台詞は原作にあったし、まんざら無関係でもない。まさにこの映画のためにあるような詩かなって。こないだ、朝日新聞にもあの詩がいらないと書かれたんだけど(笑)。茨木さんが、あの詩を書いたのが30過ぎで、ちょうど10年くらい経っていて振り返ってる感じ。だから二階堂の声でいいのかな。イコールじゃないんで考えましたね。本当は映画のタイトルにしたかったが、それは高井さんに失礼かなと思って。英語字幕版は、こっち(英訳した “When I Was Most Beautiful”)をタイトルにしました」

 

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