私の中の見えない炎

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小津の余白に・今村昌平

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 映画監督の今村昌平が逝去した。体調不良だとはこの数年、断続的に聞こえてきたので驚きはしないけれど。少々遅くなってしまったが、悼んでみたい。

 田山力哉『小説 浦山桐郎・夏草の道』(講談社文庫)はタイトル通り、映画監督の浦山桐郎を追った評伝だが、浦山が師事した今村監督に多くのページが割かれている。そこに登場する今村監督と名匠・小津安二郎監督をめぐるエピソードが印象深い。


 かつて小津監督のもとで助監督をしていた今村監督は、『麦秋』(1951)の撮影中に主役の笠智衆に、小津を差し置いて演技指導をしたことがあったという。

 


「笠がハッとして監督の顔色を見、まだ新米の今村に非難の眼を向けた(…)スタッフが俳優の演技指導をするなど考えられなかったのだ(…)今村は周囲の思惑などにかまわず、笑っていた。小津は特に怒るわけでもなく、彼を無視していた」(『小説 浦山桐郎・夏草の道』〈講談社文庫〉

 


 『東京物語』(1953)の撮影中に、今村監督の母が死去。葬儀から帰った直後のこと。

 


「偶々その日は、末っ子に扮した大坂志郎が突然母親に死なれ、遅れて葬式に駈けつけたが、悲しみの余りお寺からとび出して泣くシーンを撮っていた(…)今村は、母親役の東山千栄子の後姿が自分の亡母そっくりに見え、たまらなくなってステージをとびだした。その撮影が終わった時、小津は彼の傍にわざわざ寄ってきて言った


「どうだい、あんなものだろう。自分のおふくろが死んだ時ってのは」

 残酷な言葉に今村はぐっときたが、何も言わずにうなずいていた。(…)それでもトータルで三本の作品につけたのだから、小津はやはり彼の才能を認めていたにちがいない」(同)

 

 このうえなく強烈な個性をそれぞれに持つ大監督ふたりが同じ現場で働いているのは、ちょっと不気味な光景である。


 

だが今村自身が監督になってみるとカメラの動きは意外なほど鈍重であった。小津の影響があったのだ」(同)

小説 浦山桐郎―夏草の道 (講談社文庫)

小説 浦山桐郎―夏草の道 (講談社文庫)

 

 小津映画では、カメラはほとんど動かず固定されている。たしかに今村映画も、小津映画ほどではないが、カメラの移動は少ない。筆者は東北の姥捨て伝説をモチーフにどろりとした人間模様を描く『楢山節考』(1983)で、林の中で抱き合う男女をカメラを動かさずにねっとり捉えたシーンを思い出す。


 NHKのドキュメンタリー『小津映画 秘められた恋』(2003)で、レポーターの佐野史郎が小津の想い出に関して、今村監督にインタビューしている。監督の口は重く、当時を振り返りたくないのかなとも思ったが、その時点でおそらく体調がすぐれなかったのだろう。

 フランスで評価された『うなぎ』(1997)や『カンゾー先生』(1998)で、晩年にも脚光を浴びた今村監督だが、筆者はリアルタイムで見ることのできた映画よりも、過去の作品に惹かれる(もっとも、まだ未見の作品も多いのだが)。
テレビやビデオなどでランダムに追っていったゆえ、作品の時系列はバラバラに鑑賞したのだが、『楢山節考』の他に、貧しい女(春川ますみ)の壮絶なドラマ『赤い殺意』(1964)、広島原爆の後遺症にむしばまれてゆく人びとを描いた井伏鱒二原作『黒い雨』(1989)などに魅了される。

 
特に後者では、市原悦子三木のり平小沢昭一たちが、原爆投下から時間を経て、ひとり、またひとりと死んで行く酷薄な展開が忘れがたい。田山力哉は前掲書にて、この作品の枯れたタッチは小津映画を思わせると感想を述べている。黒い雨を浴びた主人公(田中好子)の髪が、入浴中にがさりと抜けてしまう。衝撃のあまり、引きつった顔でへらっと笑う田中好子。直接に被爆したわけではなく、黒い雨を浴びただけだから大丈夫な筈だと主張する、主人公の叔父(北村和夫)が哀しい。今の私たちから見れば、同じことだとわかっているから…。

 近年も、井伏鱒二原作の新作を準備中だったという。合掌。   

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