【映画づくりの手法 (2)】
おすぎ「優れた監督の作品見てると、何だろう、何でこの人こんなこと考えつくのってところに行くよね。
キアロスタミさんの作品を見終わって、とっても人間を感じさせてくれる。つまんない映画は多くて、技術を感じさせても人間性がないのよ。最近、映画評論家をやってるのがとても厭だなと。でもキアロスタミさんを見てると、出会えてよかったなって。最近はどうしてこんなの見せられるのかなって思うけど、キアロスタミを見てると幸せだと思いますね」
【黒澤明との邂逅】
野上「私は香港で『クローズ・アップ』(1990)を見て、川喜多和子といっしょで。山形とユーロでも見て、きょうも見てすごいなと思いましたね。和子から黒澤さんに『友だち』を見せてと言われて、見た黒澤さんも感心して。
1993年10月に、黒澤さんのうちに呼んだんですよ。新宿で小田急に乗るとき、ショーレがどんどん行くから、キアちゃんは子どもがお母さんについてくみたいに(笑)。それで成城の小さなうちに。キアロスタミさんのうちは大きいからね」
ショーレ「すごくアートで不思議なうちです。手づくりで」
おすぎ「黒澤さんのうちは行ったけど、そんなに小さいうちじゃなかったわよ」
野上「家賃は35万(一同笑)。キアちゃんは、あなたの足に踏んでもらいたいってお土産を」
ショーレ「突然黒澤さんから会いたいと連絡があったって喜んで、プレゼントに“踏んでください”ってキリムっていう絨毯みたいなものを。キアロスタミさんの好きなワインカラーの色でした」
野上「黒澤さんはあなたの映画は素晴らしい、よく子どもを自然に撮れますね、どう演出するんですかと言って。キアちゃんは、簡単です、みんな私のことを知らないからカメラを置くことができる、黒澤さんは有名だから難しいんだって。うまく答えた(笑)。2時間くらいいましたね」
おすぎ「黒澤さんも喜んでたね」
野上「キアちゃんは私を恨んでた。(もっといたかったのに)私が帰れと目配せしたと」
おすぎ「野上さんの目配せなんてわかんないよね(笑)」
ショーレ「黒澤さんはあなたの目ばっかり見てるって怒られて。それは通訳してるからですけど、うらやましかったんですね」
野上「帰りに“なんとなく名残惜しいから手紙を書く”と成城のおでん屋に入って、キアちゃんは食べないで書いてましたね」
ショーレさんが手紙を読み上げる。黒澤監督のお宅を伺って、2時間経って後悔の気持ちでいっぱいです、たくさんの質問を胸の奥にしまったままです、という内容だった。
おすぎ「2時間もいたのに?」
野上「この後ふたりは会ってない」
ショーレ「いま会ってるでしょ(笑)」
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【晩年と死】
野上「後半はイランじゃなくて、他の国で撮ってたね」
ショーレ「(イランでは)みんな尊敬してましたけど、劇場にお客は入らないんですよ。シネフィルやファンは見ても、劇場はやりたがらない。マフマルバフは商業的なアクションも撮ってますけど、キアロスタミさんはファン向け(の作品)ばかりでしたね。
『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012)のときは、夜になると歩いてて疲れたって言ってて。それならどうしていっぱいいろんなことをやるんですか、映画撮って、写真撮って」
野上「去年の暮れによくなったって聞いたんで安心してたけど。
イランってほんとに映画好きな人が多いよね。遺体がパリから戻ったら、レッドカーペットが敷かれて、1万人も集まったって」
ショーレ「腸にしこりがあると判って、中国で映画を撮るためにお正月前に手術することになって、でもお医者さんもバケーションに行っちゃっうんですけど。入院してたらお腹が張ってきて。2度目の手術で膀胱にメスが入って、ほんとに調子が悪くなって。3度目の手術では、膀胱から尿が漏れて、手術する度に悪くなっていく。いま息子さんたちが病院を訴えていて、結局殺されたと。
亡くなる前にパリに入院して、脳梗塞で亡くなる。私は別のことでイランにいたんですけど、夜亡くなりましたって聞いてびっくりして。いままでたくさんの偉い人や映画人が亡くなったけど、みんなショック受けましたね。キアロスタミさんはずっといるみたいに、みんな思ってて。次の日になると、遺体はまだパリにいたんですけど、夜10時に全国の映画館が1分止めて、闇の中でお祈りしました。『ABCアメリカ』(2001)で暗い画面を流したので、それに敬意を込めて、お祈りを捧げました」
キアロスタミ監督の墓石もスクリーンに映された。
前から3列目にはファッション評論家のピーコ、字幕翻訳家の戸田奈津子の両氏の姿があった。