【藤子・F・不二雄とのコンビ解消 (2)】
藤本君はああいう生活ギャグをずっと描いてたけど、僕は傾向が変わってきた。自分で変わったなと思ったのは、『魔太郎がくる!!』っていう作品を描いたとき。あとブラックユーモアの作品を描いたっていうのも転機になってる。単行本に出せないようなものも描いていて、「シンジュク村大虐殺」っていうドキュメンタリー形式の、まったく関係のない人たち6人が、新宿のコマ劇場の前の乱射劇で死んでくっていう過激な話も描いたりしてたんです。
昭和63年に名前を分けたっていうのは、なんとなくだったんですよ。作品でも生活でもだんだん僕らの傾向が違ってきて。藤本君は生活そのものもピシッとしてる人で、たまに映画を観るくらいで、あとは仕事してまっすぐ家に帰るという感じだったんだけど、僕は人間に対する興味が広くなっていろんな連中と付き合うようになって。お酒飲んだりゴルフやったりして、なかなかスタジオにいなくてね。藤本君は昼間仕事してるけど、僕は徹夜で原稿描きだったし、やっぱりお互いの作品の傾向も独自の形になってきてたからね。それに、僕がえらい過激なものを描こうと思っても、『ドラえもん』を傷つけるといけないから。で、ふたりでずっとやってきて、やることはやり尽くした、50まで漫画家やるとは思ってなかったから、あとはお互い好きなように、気楽にやろうよ、というのがだいたいの別れた理由でね。いろいろケンカしたとか、ずいぶん言われたんですけど、そういうことはまったくなくて(笑)。僕らは独立って言ってたんだけど、僕はその記念として『少年時代』っていう映画を作ったし、『笑ウせえるすまん』がアニメになって新しい読者が増えたり、ある意味お互い非常によかったと思ってるけどね。それまでは一緒のスタジオに通ってたからしょっちゅう顔合わせてたけど、スタジオも変えて。藤本君は体が丈夫じゃなかったから、なかなか会う機会も少なくなって。でも映画の試写会とかでよく会って話をしたり。まったく漫画と映画が結ぶ縁でしたね
【『愛…しりそめし頃に…』の今後】
まだはっきり決めてないんですよ。でもタイトルを『まんが道』から変えたっていうのは、『まんが道』ではあくまでも(主人公の)満賀も才野も漫画一筋だったけど、少年が青年になったら、まんが道を歩きつつもそこには漫画だけじゃなくて、女の人に対する愛情とかいろんな思いが出てくる。そういう思いを描きたかったからなんです。どこまで描けるかわかんないけどね。本当はトキワ荘を出てから、スタジオ・ゼロの話まで描きたい。第二のトキワ荘で非常に面白かったから。藤本君に会ったこと、手塚先生の漫画を読んでご本人とお会いできたこと、トキワ荘のみんなと付き合えたことという3つの出会いがすごく大きいんで、そういう素朴な人の触れ合いを描きたいんですよ。いまの若い人ってみんな孤独で、『まんが道』読んだりすると、非常にうらやましいって言うんです。そういう人たちがこの作品を読んでる間だけでもホッとできて、いい気持ちになれたらいいですよね
以上、別冊宝島『ザ・マンガ家』〈宝島社〉より引用
このインタビューが行われたのは『愛…しりそめし頃に…』の2巻(小学館)が刊行された半年後くらいの時点であり、現在は全12巻で完結した。
インタビューから15年の歳月を経て、A先生が言及している情況にも変化が訪れた。プレミア価格が付いていた『UTOPIA 最後の世界大戦』は『藤子・F・不二雄大全集』(小学館)の1冊として比較的手軽に読むことができるようになっている。「シンジュク村大虐殺」も、今年刊行された『藤子不二雄A ビッグ作家 究極の短篇集』(小学館)に初めて収録された。
記事を読み返すと、月日の流れにちょっと胸が締めつけられるような気になるが、やはりいまは『まんが道』『愛…しり』が無事にすっきり完結できたことを寿ぐべきであろう。