私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一講演会 “いま生きていること” レポート(2)

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【時代の変化 (2)】

 時代の変化はほんとに激しい。それも便利という意味で激しい。商業主義ですね。人と人とがやり取りするのをパスする方向にある。便利じゃないほうがいいとは、普通は言えないですね。かつては切符を買うということで自分を克服できたのに、不便さが人の心を育てるという側面がなくなって心が育たなくなるんじゃないでしょうか。

 きのう新聞に、横浜へ行くのに東横線湘南新宿ラインとで違うと。どこが違うかっていうと3分違うって。それは病気じゃないかな(一同笑)。

 社会が成熟すると不便さが望まれるようになってくるんじゃないですか。3分の違いなんて、小学生が速さを競うみたいで何言ってんだと。ゆっくりすることのよさもありますよね。ぼく自身せっかちですから、急行が来ると混んでてもそっちに乗っちゃうんですが(一同笑)。

 都会にいると、本来の生活から隔てられているっていうかな。便利さに溺れている気もします。流通経済のもとでは、材木を一度も切ったこともない人が家を建てる。そういうことは都会の人にはありふれています。そんな人が急に田舎へ行ったって、蚤がいたりして(一同笑)。

 都会の便利さに、意識的になるべきですね。電気とか電車とか、いろんな人がやってくれている。電車は病気なんじゃないかってくらいスッと来て、2分遅れたくらいですごく謝る。

 もし渋谷に住んでいたら便利だけど、隣に劇場があっても毎日行くわけじゃないし、隣にデパートがあったらあったで毎日同じだなんて思ったりして(一同笑)。不便の大事さがあって、ちょっと不便がいいんじゃないかな。

 

【老いの不可思議】

 老人はこのへんで死ぬかなと思っても死なない(一同笑)。ぼくも55くらいからこれで最後の仕事かなって思って、いまは最後の仕事と思うのに疲れた(一同笑)。老人が暮らすのは大変ですね。お金がある人はいいかも判らないけど。

 NHKでドキュメンタリーを見ていてすごかったのが、体中にチューブをつけている(老)人が生きたいかと問われて「生きたい」という。ひとごとだから、あんな(状態)なら死んだほうがいいんじゃないかと思っちゃうんだけど「生きたい」と…。ぼくも同じ立場になったら、生きたいと思うのかなって。人間って判らない。

 ドラマは、人間とはこうだ!と言わなくていい。論文は違う。養老孟司さんは脳がいちばん大事だって、ある人は大腸が大事だって(一同笑)。

 養護施設を取材に歩いてデイサービスを芝居に書いたんです(『心細い日のサングラス』〈2013〉)。1月(の公演)だからお正月でしょう。それで陰々滅々とした話にしたら怒られる。10月くらいから書いて、12月に稽古するから11月に締め切り。で、一幕はトントンと書いた。デイサービスの人が、幕が下りたとき元気になるように書こうと。でもどう考えてもこの作品にそんないいことはない。(ハッピーエンドにしても)老人が見たら、何甘いこと言ってんだと思うでしょう。人さまに普遍性を与えるように書くって判らなくて、困ってしまいました。それでこの歳になって初めて眠れなくなって。原稿が遅いんで、みんな一幕目の稽古を始めてしまって。主人公の奥さんは筋萎縮症なので、不安を振り払おうと小声で歌を歌ってる。主人公も周りのスタッフの人も知ってて、その歌が「悲しくてやりきれない」。ぼくの好きな歌で、結局最後はその歌をみんなで歌うことにして、それが救いになったか判らない。

 (実際に)友達に筋萎縮症の人がいて、向こうはどんどん話せなくなっていって筆談もできない状態になって。するとこっちが喋るわけにもいかない…。 

【ドラマについて (1)】

 歌っていうのも教養で、人生の救いになると思いますですね。歌といえば、ひとりカラオケがいま流行っていますね。ひとりになりたいって気持ちも判りますけど、それだけじゃなくて、あれは教会じゃないかな。日本には教会もない。お経はあるけどよく判らない(一同笑)。ひとりで何時間も歌う人って救いを求めて教会へ行ってるんじゃないかな。

 昔の歌は歌詞が判ったけど、あるとき判らないのが出てきて、それがサザンオールスターズ(一同笑)。最後の「♪エリー」ってのだけ判る(笑)。(『ふぞろいの林檎たち』シリーズで使ったのは)歌詞が判らないから台詞の後ろに流しても邪魔にならない(一同笑)。(つづく