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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

中島丈博 × 野上照代 トークショー レポート・『酔いどれ天使』(1)

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 1997年に、三船敏郎勝新太郎という昭和の2大映画スターが逝去。没後20年を記念して、ふたりの特集上映が池袋にて行われている。2月末に三船敏郎主演の『酔いどれ天使』(1948)と『野良犬』(1949)の上映と脚本家の中島丈博スクリプター野上照代両氏のトークショーが行われた。

 おふたりは後述の通り旧知の仲で、「ドラマ」2016年2月号でも中島氏は野上氏のことを書いている(中島脚本の『新・牡丹と薔薇』〈2015〉について、ふたりで悪口を…)。

 トーク冒頭で「ぼくなんか無名に等しい」と中島氏は笑いをとっていた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

野上「たくさん(の観客が)入っていらっしゃって、ありがとうございます。時間がないからどんどん」

中島「はい、お姉さま(笑)」

野上「中島ジョーハクは、橋本忍さんの一番弟子。初めて会ったときは詰襟の中学生みたいで、それがこんなじいさんに」

中島「『南の風と海』(1961)。昭和36年の映画で、橋本忍さんが監督されまして、ぼくの脚本家デビュー作。そのとき現場につきまして、助監督のサードの次くらい。方言指導みたいなこともやって。のんちゃんはそのときのスクリプターで、それ以来お慕い申し上げております(笑)」

野上「中学生みたいだったのに、こんなに偉くなるとは」

中島「もう24でしたよ」

 

【『酔いどれ天使』(1)】

 『酔いどれ天使』は、三船敏郎が名コンビの黒澤明監督と出会った作品。野上氏は多数の黒澤作品に参加し、『天気待ち 監督・黒澤明とともに』(草思社文庫)などの著書もあるが、『酔いどれ』の段階ではまだスクリプターではなかった。

野上「(見直して)改めて黒澤さんの才能はすごい。戦後すぐですよ。(脚本の)植草(植草圭之助)さんも書いてますけど、東宝は組合闘争があって、何千人もクビにして騒然とした中で初号試写をやって。そういう中で辛うじて生まれた傑作です。1947年だから(制作を)始めたときは37歳かな」

中島昭和32年?」

野上「違うよ。あ、そうだ(笑)。

 黒澤さん自身も、これで初めてぼくらしい映画ができたと。美術の村木(村木与四郎)さんと三船さんを見つけて。音楽の早坂(早坂文雄)さんを使ったのも大きいけど。まだ36、7の監督がやるとは、ほんとにすごい。村木さんに聞いたんだけど、山本(山本嘉次郎)さんの『新馬鹿時代』(1947)が終わって、オープンセット壊すのはもったいないから闇市のセットに使おうと。廃物利用を本木さんが考えて。

 ひらめきというか、やっぱりすごいですよ。36歳の監督がよく撮ったなと。セットを使うのも素晴らしいし。

 大きいのは三船さんを使ったことですね。俳優さんになる気はなかったのに。キャメラマンになりたかったのかな。撮影部に入れてくれるって条件で、谷口(谷口千吉)さんの『銀嶺の果て』(1947)に出て。本人は俳優にならないって言ってたのに、谷口さんのフィルムを見て、黒澤さんが惚れ込んじゃって」

中島「ジルバを踊るところがせつない。あの時代はジルバが流行った。踊り方がうまいけど、なんとなくチンピラふうに踊っていて。うまいだろうって見せつけも多少あって、木暮三千代相手に踊っていて。時代の雰囲気もあって。若いやくざの見栄っぱりなところも孤独さも、ジルバのダンスに見えてました」

野上「とにかく三船さんだね。経験のない素人が、よくあんなにできた」

中島「そんなふうに思えなかったね」

野上「この前は『銀嶺の果て』とヤマカジさんのにちょっとくらい。裸で飛び込んだようなもので。黒澤さんが惚れ込んで、惚れられるとそんなもんでしょ(笑)」

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 脚本は植草圭之助と黒澤の共同。植草と黒澤は『素晴らしき日曜日』(1947)でも組んでいる。

 

中島「脚本家だから言うわけではないけど、植草さんの功績も大きいかな。植草さんは『わが青春の黒澤明』(文春文庫)を著していて、黒澤さんとの訣別も書かれてて、ちょっと恨み節も。小学校時代からの同級生なんだけど、馬が合うかと思ったら意外とそうでもないと」

野上「植草さんは、やくざを英雄視してると組合にさんざん言われて。これじゃやくざを礼賛してると。それでふたりの意見が合わなかった」

中島「初稿は傑作だったと。でもやくざ礼賛だと組合からいちゃもんが出て、5日かけて直すことに。

 最後は個人的な組への恨みみたいになって、山本礼三郎と対決する。肺病やみはどうせ死ぬから鉄砲玉に使えると言ってるのを、三船が立ち聞きしちゃう。それで志村喬への忠誠が組への恨みになっちゃう。そこが改変の肝じゃないかと深読みしちゃう」(つづく) 

 

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