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山際永三 × 田口成光 × 井口昭彦 トークショー レポート・『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンエース』『ウルトラマンタロウ』(3)

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【美術について】

 井口昭彦氏は『マイティジャック』(1968)にてデザイナーとしてデビュー。

 

井口「(学生時代は)舞台をやりたかったんですよね。舞台装置希望でしたけど、やってるうちに主任教授から、アルバイトで円谷に行けと。その前にはTBSにいて、戻ってこいと。それがきっかけになってます。(キャリアの)初めから特撮。東宝ビルトのゴミ拾いから始めて。そのころお金がなくて、東宝から(ミニチェアを)借りて、それを飾り込む。

 『マイティジャック』のデザイナーになって。大先輩の成田亨さんが辞められて、その後釜に。佐川和夫さんの回で、弱冠25歳。大学4年生で、その足で卒業という格好です」

 

 『帰ってきたウルトラマン』(1971)では池谷仙克氏らと共同で、怪獣やメカのデザインを担当。

 

井口「(MATアローなどは)台本や企画書に書かれているものを、これやってと言われて。特別好きで(メカを)おれにやらせてっていうのはない。助手のときは、専門に飛び物のデザインをする人もいたけど。怪獣は成田さんだけど、飛び物もときどきやって。あとはそれ専門のデザイナーがいました。

 ぼくは、現実的に飛ぶようなものをデザインしたいと。(MATアローは)オスプレイでしたっけ、あれの何十年前に似たようなものをデザインした。当時は(おもちゃには)ならなかったですね。

 ぼくは現場にいましたから(脚本には)それほど関わってなかったですね。(怪獣の)首を切ってるのは結構あったですけど。いまはああいう殺し方しちゃいけなくて、台本書く人は大変でしょ」

山際「いまはいけないの?」

井口「(『帰マン』のデザインは)池さんとおれと、そのあと大澤(大澤哲三)さん。怪獣も武器も、円谷プロは当時(おもちゃで)金もうけようってなかったですね。ぼくはいつまで経っても、ゴミ拾いをしながら」

田口「電車とか、スタッフが持って帰ってました(一同笑)」

井口「池さんやぼくはセットの直しをしてデザインも描いて、大忙しでしたね。見に行くこともできなくて、イメージと違っても大きな直しができない。締め切り日に持参とか、ありましたね。でも自分が描いたイメージ以上のものができあがってきた。

 熊谷(熊谷健)さんは自分でデザインもやりたい人。後で『西遊記』(1978)のころになると、偉くなって」

 

 山際氏が佐川和夫特技監督に、壊されるビルのロケ地を提案したこともあった。

 

山際「でもあれじゃダメですよ、特徴がない、せっかく(ミニチュアセットを)つくるんだから特徴がないとダメだとさんざん言われちゃって、厳しいもんだなと」

井口「特徴があるものだと違いますね。その前に脚本がいいと乗る。制作側を乗せるような脚本がいちばん大事ですね」

田口「特撮は美術だよ(笑)」

井口「デザインするのも、乗ったとき、テンション上がったときはどんどん筆が進むんですよ。何十稿描いてもダメで、時間がないからこれでいいやってこともありますね

 ぼくの場合、手が遅いですから1日はかかりますね。台本読んでイメージくみ取らんきゃいけないから考えて、それで1日。8時間くらいかかりますね。乗ってるときは、すぐイメージが出る。描いたり破ったりは普通ですね。成田さんは(仕事が終わった後に)デザインを自分のところに戻してたけど、おれなんかいい加減で手元に残ってないですね」

 井口氏は、『ウルトラマンエース』(1972)では筆頭デザイナーとしてクレジットされた。

 

井口「(怪獣の)ワンランク上の超獣に対して、エースのスタイルはちっちゃい。正義側にぞくぞくずるのは、ちっちゃいものが大きいものを倒すから。子どもに説明しやすいし、迫力もある。東宝の(巨大な)スタジオを使わせてもらって、富士山を描いて。あおりもできる。それが嬉しかったですね。

 (発注を)出す工房によって、どこまでできるかと。10人20人いても、工房によって違う。デザイン以上に仕上げるかごまかすか(笑)」

山際「特撮はビルひとつつくるのに何万円。何をつくるかで、だんだんシビアになってきて。壊すビルの中までつくったりして大変(笑)」

井口「ビルはだんだんあり物で。何十個もありますから。少し余裕があれば、修理したり細かい飾りをつけたりして変化をつける。初めは石膏で、そのうち段ボールになったり」

山際東宝ゴジラの時代から引き継いでるけど、いろんな工夫して、新しいイメージを取り入れて工夫したと思います。『ウルトラマンタロウ』(1973)の1話のガスタンクが崩れるのは、ぺこっとへこんで面白い」 

井口「コンビナートのガスタンク(の爆発シーン)は、カメラ何台も置いて、同じカットを何回も使ったりしますね」

田口「編集の柳川(柳川義博)さん、彼も一家言ある人でした」

 

 井口氏は、映画『ゴジラ対メカゴジラ』(1974)ではいまも絶大な人気を誇るメカゴジラをデザインした。

 

井口メカゴジラは3、4日。田中社長(田中友幸プロデューサー)の部屋で缶詰めになって描きました。外に出ちゃいけないと。(東宝の)社長室で描かされて、描いたり消したり」 

 『帰ってきたウルトラマン』や『シルバー仮面』(1972)などのデザインを手がけて、このトークの直前に逝去した池谷仙克氏についても言及された。

 

山際「『シルバー仮面』は等身大の怪人が出てくるので、池谷さんがどんなデザインするか関心あったし、怪人の性格もストーリーに寄せてあったから。池谷さんのデザインは大したもんだと感じましたね。現場にも来てましたよ。毎日顔合わせてましたね」

田口「美術の下絵を描くんですね、セットの。これが繊細だったですね。民家とか、その下絵を図面に起こす」

 

 会場には市川森一氏の妹さんもいらしていて、山際監督らと談笑していた。

怪獣幻図鑑―池谷仙克画集

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