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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一講演会 “きれぎれの追憶”レポート(1)

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 “夏の文学館 「歴史」を描く、「歴史」を語る”と題して、近代文学館の連続講演会が有楽町にて行われた。脚本家の山田太一先生の講演もあり、休みをとって聴講することに。

 山田先生はお元気そうだったけれども、筆者の能力の限界により終盤の話は何を言っているのかよく判らない件りもあった。よって不完全なレポである。他の部分も、完全というわけではないのだが…(以下はメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【戦争について (1)】

 戦争を体験している人がどんどん少なくなってきて、私の友人・知人もあっという間に亡くなっていく。いままでは体験を語るということをしたいとは思わなかったんですが、こうして体験者が亡くなっていくといろんな出来事もなくなっていく。

 戦争中の再現ドラマを見ると小さな齟齬が気になって、“違うだろ”って思って、入り込めない。最近見たのは、ラジオから“東部軍情報”って流れて、敵機が来る。ぼくは小学生で終戦でしたけど、覚えているのは、当時はみなマイクの前で声をもっと張り上げて“東部軍管区情報”と。やがて警戒警報、空襲警報がかかり、夜だと灯りを消す。こういう空気は70年経っても忘れない。当時の空襲はもちろんストレスでした。私は強制疎開で神奈川県の外れに行って、東京大空襲は経験しておりません。でも大空襲のころや飢餓状況、アメリカ軍が入ってきたころとか、ある年代までみんなの中にそれがあって、私が語らなくても、と。

 最近、ある映画を見ていたら、豆かす入りのごはんを食べていて。当時空腹だった私にとっても、豆かすはまずかった。映画では“あなた(豆かす入りごはんから)豆かすをつまんで食べてる”っていう台詞があって、ごはんから豆かすを選んで食べるなんてありえない。そういう細かなところが気になって、作品がよかったのか判らなくなってくる(一同笑)。

 しかし考えてみると、自分が明治30年代のドラマをやれと言われたら、何も判らなくてすくむ。風俗を勉強しても、その時代を経験した人が見れば“何だこれ”となる。体験した人がいなくなるのは大変なこと。年表は残るし、大事件の記録もあるけど、日常生活の豆かすのまずさとかは判らなくなる。豆かすとか食べるから栄養失調でした。かぼちゃばかり食べててかぼちゃが厭って人もいたけど、私はかぼちゃも手に入らなくて、さつまいも。でも姉があるとき、さつまいも2本のうち1本をあげるって言ってくれて、人間はどうしてこんなことができるんだろう、と…。

 ぼくは食べ物がくると、ぱっと食べちゃう。その癖がいまも治らなくて、家内の半分くらいの時間で食べて、残すことができない。食べ残すと達成感がある(一同笑)。そういう後遺症がありますね。自分が食べているところは醜いという意識があって、人のことなんか見ないで食べちゃう。がつがつしていてグロテスク。だから好きな女の子の前でみかんも食べられなくて。戦後、レストランで相手と向き合って食べたとき、フォークを落とすわナイフを落とすわ、うろたえました(一同笑)。そういう、身についた飢餓状況があるんですね。

 私が生まれて2年ほどで226事件、4年くらいで日中戦争。昭和16年に大東亜戦争が始まってしまう。敗戦まで、日本は戦争一色。ぼくは戦争中に飛行機の絵を描いてたって言うと、“軍国少年だったんですね”って言われるけど、そうじゃない人はいなかった。教育が一色でしたからね。日本の人はすべて戦争に協力しなければならなくて、反対の人は表に出てこない。反対の人も、子どもの前で変なこと口にしたら言いつけられるかもしれないし(笑)。親が特別な方なら別ですけど。

 あるとき共同風呂に入っていたら、10代後半くらいの人が“人の厭がる軍隊に志願で出てくる馬鹿もいる”と節をつけて歌ってて。(彼は)ぼくが子どもと思ってなめていたのかもしれないけど、こんな人がいるのかと衝撃受けるほど、ぼくは軍国少年でした。

 負けたときは全く信じられなくて、そのくらい国の宣伝は徹底していて、大ショックでした。

 かつてラングストン・ヒューズの翻訳もされていた詩人の木島始さんが最近亡くなられて、ご家族が木島さんの第一詩集を復刻されたんですが、その巻頭の詩(「起点−一九四五年−」)です。

あの日

 突如として

 

 歴史の姿は 

 あかるみにでた

 

 だがあゝ 目隠しされていたことさえ わからなかったほど

 いまいましい過去はない」(『木島始詩集 復刻版』〈コールサック社〉) 

木島始詩集・復刻版

木島始詩集・復刻版

 

 空襲は敵を引き寄せて叩くための作戦だ、と大人は言い張ってて、集団で魔法にかかってしまった。空襲をバケツリレーで消火するとか、アメリカ人が上陸したら竹槍でつつくとか、それらは非リアリズム。(同時期に)ノルマンディーでアメリカとドイツが近代兵器で凄惨な戦いをしてるんですが、日本はそんな状態で。いまのIS(イスラム国)みたいに信仰が自分といっしょじゃない人は殺していいとか、人間ってこうなることもあるんですね。

 戦争が始まると、勝つことが大事で、他は二の次三の次になる。平和が70年もつづいていると、平和は戦争しないという事実であってどう生きるかが大事、平和はありがたいことではないという人もいる。でもぼくは、戦争がないという事実だけで大切だと思っていまして。一旦戦争が始まると、同調して石を投げる人が増えていくのが現実です。第2次大戦より武器も高度になっている。平和ってほんとにありがたいことで、戦争している国が多いですから、いつかは始めなければならないときが来るかもしれないけど。政治家の仕事は、こすっからくても卑怯でも、のらりくらりと戦争を避けていくことですね。(つづく)

 

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