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山田太一 × 和田竜 トークショー レポート(1)

 2月、脚本家の山田太一先生と作家の和田竜氏の対談が神楽坂にて行われた。

 テレビ『岸辺のアルバム』(1977)や『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(1983〜1997)など当人曰く “片隅の話” を描く巨匠脚本家と、『のぼうの城』(小学館文庫)や『村上海賊の娘』(新潮社)といった活劇時代小説の旗手とはあまり関連がなさそうに思えるが、和田氏は山田作品の熱心なファンでシナリオ集もかなり読まれているという(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください

 

【和田竜と山田太一 (1)】

和田「この対談をしませんかと新潮社の田中さんから話をもらったんですが、書店回りをして書店員さんと飲んだりして酔っぱらって、山田さんの話をして、こんなに面白いんだって言ったら(相手は)意外そうに「へえ」と(笑)。それで、そんなにお好きなら対談しませんか、と。大尊敬している人に会うって図々しい、遠くで見ていたいというか、直接お話ししたら見透かされそう。でも思い直して、またとないチャンスですから。山田さんもオッケーしてくださって」

山田「ぼくも、和田さんがぼくとしゃべりたいと言ってくださっていると聞いて、間違いじゃないの? よく山田洋次さんと間違えられるし(一同笑)。

 八重洲ブックセンターのぼくのサイン会にいらっしゃって、ぼくはお目にかかったことがなかったんで普通にサインしたんです。そのときにあの方が有名な和田さんだって言われて、そうしたらもういらっしゃらなかった。あんなベストセラー作家が? 只者じゃないなと。『のぼうの城』も、上下2巻の『村上海賊の娘』も失礼ながら読んでおりませんでした。一生懸命3冊拝読して、私とどういう接点があるんだろう。司馬遼太郎さんがお好きだと全集の月報に書かれていて、そこに何で私が入ってくるのか、いまだによく判らない(笑)。私ごときがつまらない話を書いて、それが後輩として不愉快だったのかな。煙ったいのが会ったら吹っ切れるとか、そういうことってよくありますよね」

和田「意味が…(一同笑)」

山田「生でそいつに会うと、この程度のやつかと。幻想と実物だったら、幻想のほうが強い。ヤノーホがカフカに会ったら、普通の人でがっかりするというのが『カフカとの対話』(ちくま学芸文庫)にありますね」

和田「でも『カフカとの対話』でも、カフカがすごい人だと判ってくる」

山田「私はそんな器量じゃない(笑)。

 和田さんの文体は抑制が効いていますね。現代語も古い言葉もうまく使っていらして、その呼吸がいい。資料もたくさん用意なさって、資料にもとづかない活劇部分ではばたくじゃないですか。それがいいですね」

和田「よかった…(一同笑)。

 八重洲のサイン会では、生の山田さんを見たことなくて。作家の方が何人かいて、道尾秀介さんが質問コーナーで手を上げて、ぼくはすげえなあって。シナリオもエッセイも長年読んできて、おそらく山田さんは、ぼくの書いているものは好きじゃないだろうと。『のぼうの城』の和田ですって言ったら怒られるかなって。すると横の新潮社の人が説明し出して、まずいと思ってそそくさと逃げました」 

山田「父も兄も本を読まなかったから、うちは本がなかった。でも講談の本はあって、和田さんの本を読んでいたら講談の面白さを感じましたね」

和田「映画監督になりたいというのがあって、黒澤明が「映画監督は脚本を書かなきゃいけない」と。大学時代にお芝居をやっていて、シナリオ作家協会の講座に通ったことがあるんですね。ぼくは『ターミネーター』(1984)が好きで、ご覧になりました?」

山田「ああ、面白かったですよ。2作目(『ターミネーター2』〈1991〉)ぐらいまで面白かったかな(一同笑)」

和田「ぼくは2の前半まで面白いと思ってるんですが(笑)」

山田「『村上海賊』の真鍋七五三兵衛のしつこさ。あれはハリウッドの、叩いても殺しても立ち上がってくるターミネーターですね」(つづく)

 

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