私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 インタビュー(1990)・『少年時代』(2)

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 (映画『少年時代』では)説明的にならないように、最小限度まで、セリフを抑えた

 

 (配下からのクーデターにあった武が、慰めようとした主人公・進二を突き放すシーンについて)あれはね、要するに失恋なんですよ。好きな進二が自分を裏切った側へついたというショックと、進二の目の前で全員に寝返られた屈辱が、彼にはものすごく堪えているんですね。そういうとき人間がその次に採る方法は、巻き返すことと、我慢することしかないんですよ。でも巻き返すっていうのは、もしかするとさらに恥の上塗りをする危険性があるわけです。だから彼は、全く言い訳をしないで、とにかくその事態に耐えてしまおうっていうふうに、頑張るわけですね。少年時代には、友情だか恋愛だかわからない時期があるのではないでしょうか

 

 (人間は)ゴチャゴチャ悩んでる存在。

 いけないとわかってていじめてしまうみたいな、人間にはどうしようもないものが、いろいろあるわけですよね。だからこそ映画なんてものがつくられるのであって、モラルや概念通りにいくんだったら、映画なんてなくったっていいわけです

 

 今の時代でも生々しい話として、ちゃんと成り立つようなドラマを書きたかった。戦争そのものについてとか、銃後の子供たちの生活を書くというようなことは、今回は二次的なことだった。

 

 ノスタルジーふうの映画になることを意識的に避けて書いたんです。あの頃こういうことがあったんだよというようなことは、ほとんど脚本では書きませんでした。篠田さんは、それではあまりに書かなすぎるとお思いになったのでしょう。ラジオで当時のセレナーデが流れてアナウンサーの声が流れるとかっていうのは、脚本にはないんですけど、篠田さんはお入れになったりしています。映画に時代色が色濃く出ていたとすれば、それはむしろ監督の領域ですし、業績です

 

 戦争というのは、涙の別れとか決死の覚悟とかっていうようなこと以上に、窮乏とたたかい、近隣といさかいながら、先に希望のない日常をえんえんと生きることなんですね。勇ましく死ぬ決心はあるなんて言ってても、現実ではなかなか死ぬどころじゃなくて、飢えてたいへんだとかね。そういう日常のたいへんさの方が、実は人生の中で大きいと思います。もちろんどんな状況下にあっても、毎日の営みの中に、一人ひとりの人間の生きてる喜びみたいなものや、恋愛や友情なんかもあるわけですね。僕はそういうところを、なるべくリアルにリアルに捉える必要があるんじゃないかなと思ってるんです。ですから、戦争がスペクタクルみたいな面だけで描かれると、違うなという気がします

 

 やっぱり普通の社会は、大人が支配している社会なんですよ。ですから、たとえ子供の中にどういう関係が成立していても、大人の都合で暴力的に引き裂かれてしまうわけですね。敗戦になったといって、パッとお母さんが来て、あっという間に連れて帰られてしまう。または、軍歌を歌え歌えって言われてきたのが、ある日突然、その歌はダメだっていうことになって、かといってその歌しか知らないから、少年たちは感情の捌け口がないわけですよ

 

 スクリーンいっぱいに広がる連峰、果てしなく続く長い砂利道…この映像だけでも多くを語っている感じがしました。映画ならではの素晴らしい表現になっていましたね。僕のセリフに行間が感じられたとすれば、それは篠田さんのお力だと思います。

 僕はいい映画だと思いましたねぇ(『シネ・フロント』第165号より引用)

 

 『少年時代』には、山田太一先生の他の作品のような濃厚な台詞の応酬がない。テレビや舞台でないからこそ映像を最大限に活用できる、そのために台詞をあえて封印したのであろう。

 映画版をかつて見たときは、藤子不二雄A先生のほとんどホラーのような原作の毒が消されてしまっているように感じて不満を覚えたのだが、改めて見直すとこれはこれで秀作だとも思われる。

 引用者は、同じ1934年生まれの藤子・山田両先生を神さまのように敬愛しているので、ふたりで組むことはもうなくとも、ぜひ対談などしていただきたいものである。 

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