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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

稲垣高広 × 川口貴弘 × 世田谷ピンポンズ トークショー レポート・『まんが道』(1)

藤子不二雄 書籍

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 巨匠・藤子不二雄Aが、人生行路を自伝的に描いた大河マンガ『まんが道』(小学館)。主人公(藤子A ≒ 満賀道雄)が友人(『ドラえもん』などの藤子・F・不二雄才野茂)とコンビを組んでマンガを創作し、新聞社勤めなどを経て富山から上京し、トキワ荘に入居してマンガ家として成長していく姿をドラマティックに描く大作である。

 1970年にスタートして描き継がれ、1995年からは続編『愛…しりそめし頃に…』(小学館)が始まり、2013年に完結した。

 9月のシルバーウィークに神保町にて『まんが道』を語る、稲垣高広川口貴弘両氏(タカヒロズ)のトークショーが開催された。

 

 稲垣高広氏は藤子不二雄研究者として知られる。ブログ“藤子不二雄ファンはここにいる”を運営され、『藤子不二雄Aファンはここにいる Aマンガ論序説編』(社会評論社)などの著書がある。2011年には、NHKの番組『まんが道をゆけ!』にも出演。

藤子不二雄AファンはここにいるBook〈2〉Aマンガ論序説編

藤子不二雄AファンはここにいるBook〈2〉Aマンガ論序説編

 

 川口貴弘氏はアートディレクター・グラフィックデザイナーで、展覧会やイベントのアートディレクションなど多彩な仕事を手がけている。学童舎を主宰されており、この名は『まんが道』にも登場する実在した版元・学童社から取ったのだろうか。稲垣・川口両氏は“タカヒロズ”というコンビを結成され、今回がその活動の第1弾となる。

 

 ふたりに加えて、ゲストで世田谷ピンポンズの細谷和宏氏も登場。世田谷ピンポンズさんは、主に古書店でライブをされていて、“六畳半フォーク”と呼ばれる作風のシンガーである。ピースの又吉直樹氏が作詞した曲もある(「アナタが綴る世界」)。筆者は、お名前は存じあげていたのだが、藤子不二雄ファンだというのはつい最近知って驚いた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます)。

アナタが綴る世界 (世田谷ピンポンズ)

アナタが綴る世界 (世田谷ピンポンズ)

 

川口「『まんが道』で意気投合して、今回開催する運びとなりました。ぼくの本業はデザイナーですけど、美術系の学校へ行くと、『まんが道』を読んでない人はいないくらい」

稲垣「3年くらい前、川口さんのほうからメールをいただいて」

川口「(稲垣氏は愛知県に住まれていて)名古屋に出張に行く機会があって。母の教えで、会いたい人には必ず会って話せ、と(笑)」

稲垣「そこで話したときに、『まんが道』をテーマにしたトークショーをやりたいねって。それから3年」

川口「世田谷ピンポンズさんにも、ぼくが連絡しました」

ピンポンズ「いきなり長文のメールが。怪しかったですけど(一同笑)、会いました。あれからまだ1年経ってない」

川口「ラジオで彼の曲を聴きまして、YouTubeでも聴いて、これは共通点が多い。全国の古書店でライブをされていると。いわゆる路上ライブとも違うし、古書店を回ってるってセンスを感じて。ピースの又吉直樹さんも彼のことを買って、共作されています」

 

【『まんが道』とは (1)】

ピンポンズ「ぼくは『まんが道』ファンの末端にいて。初めて出会ったのが大学卒業のころで、就活を夏休みに止めて、何かしなきゃっていう強迫観念があったときに読んで」

稲垣「『まんが道』を読むと、メラメラと何かをやりたいって気持ちになりますね」

川口「ぼくも『まんが道』と手塚治虫先生に出会ってなければ、普通に過ごしてた。『まんが道』を読むと、徹夜しても平気な、クスリのような…」

稲垣「主人公が徹夜してるのをみると、自分も徹夜したくなる(笑)」

川口「ぼくもフリーランスだけど、『まんが道』で保証のないマンガ家が愉しくやってるのを見て、ものすごく勇気づけられたんですね。現代社会を生きる上でいい教材。でも、ぼくらが読んできたマンガを、20歳くらいの人は知らない。(今回の企画は、)読み手からこういうのがいいと提案していくのはとどうかな、と」

稲垣「読者の立場から何か広めていこうっていう。微々たるものだけど、伝えていければいいなって」

 

 『まんが道』はビルドゥングスロマン系譜に属する。

 

稲垣ビルドゥングスロマンというのは、教養小説。ビルドゥングは形成するという意味で、自己形成小説ということです。未熟だった主人公が、つらい思い、愉しい思いをしたり、誰かを愛したりして自分のポジションを決めて成長するという。A先生の最初の発想は、ビルドゥングスロマンをやりたい、と。A先生が子どものころに読んだ佐藤紅緑下村湖人。そういった成長物語が昭和40〜50年代には雑誌から失われてた。だから自分の経験をフルに活かして、『まんが道』を描かれた」(つづく)

 

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