【背景美術家 島倉二千六の軌跡 (2)】
昭和の特撮映画では、怪獣たちの最終決戦が富士の裾野で行われることが多かった。対決を見守る背景の富士山は、島倉氏の手による。
島倉「『三大怪獣地球最大の決戦』(1964)とか、富士山はよく描かされましたね。1回機材車に登ったら、1色2色で描く。調整する余裕がないから、1回登ってずっと描いていました。若いからできたんですね。富士山だけは自信があります(笑)。『怪獣総進撃』(1968)では9メートルの富士山をひとりで描きました。雑巾みたいな大きな刷毛を竿に付けて描くんですけど。富士山は(山頂の)雪がないと富士山に見えないんですね。そこがないといけない」
中野「島倉さんは、どこから見た富士山かと判るのがすごい。この人の絵は富士山が喋ってるというか。雲も喋ってるね。島倉さんの雲は、そこに向かって飛行機を飛ばすと、登場人物の思いを語ってくれる。絵心だけでなくて映画が判っている」
島倉「(笑)中野さんの(特技監督昇進後の)作品は、ほとんどやらせてもらいました」
島倉「川北とはよく喧嘩した。『さよならジュピター』(1984)のときとか「まあ、いっかなー」とか偉そうに言うから「もうやらねえ」って(笑)。でもその後も何度も仕事しましたね」
青空や富士山だけでない、ユニークな領域の仕事もある。
島倉「東映の『宇宙からのメッセージ』(1978)の大きな地球、これは一晩でしたね。特撮監督の矢島(矢島信男)さん、変な人でした(一同笑)。『さよならジュピター』では木星も描きましたね
川北の『零戦燃ゆ』(1984)は空から見た地面を描きました。ガラスに雲を描いたり、描きものはなんでもやりましたね」
蛾の怪獣モスラの美しい翅は島倉氏のデザイン。
島倉「『モスラ』の翼は、美術の渡辺明さんに描いてみろって言われて5つぐらい描いて採用された。(複雑なので)いまはもう描けないね(笑)」
テレビ作品でも、これが島倉氏のものかと驚かされる。
島倉「『ウルトラセブン』(1967)の富士山にかかる雲は私が描いたんですよ。このころは、昼は東宝(の映画)、夜はテレビ」
『宇宙からのメッセージ』の矢島信男特撮監督によるテレビ『宇宙刑事ギャバン』(1982)や『宇宙刑事シャイダー』(1983)などの異空間・マクー空間や幻夢界の空は好きなように描いてくれと注文があったという。
島倉「こういうのは描きがいがあって、リアルな空より面白いですね」
特撮メインでない意外な作品でも、島倉氏の多彩な仕事が堪能できる。『瞳の中の訪問者』(1977)、『ねらわれた学園』(1983)といった大林宣彦監督作品にも参加。『ねらわれた学園』での峰岸徹の身体に眼が描いてある異常な姿は忘れ難い…。
島倉「峰岸徹さんにボディペインティングって言うんですか。次の日には消さなきゃいけないから、別の日にまた描いて(笑)。
市川崑さんの『四十七人の刺客』(1994)と『犬神家の一族』(2006)もやったんですが、市川崑さんは背景画が好きじゃなかったですね。『犬神家』のときは『四十七人』のときのあの人って頼まれた」
三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』(2008)のタイトルロールである夕空も、島倉氏の手による。
島倉「『マジックアワー』では三谷監督も描いてるところを見に来てた。離婚する前だから、夫婦で来てましたね(笑)。これは(美術の)種田陽平さんの関係です」
近年も『巨神兵東京に現わる』(2012)や舞台、CMのほかに “島倉仁” の名での画家としての活動など、島倉氏は現役である。
島倉「いま外で描くとき、風がいちばん怖いです。やりづらい。朝早く行って明るくなると始めるんですが、風が出るとやめなきゃいけない。なんとかやっちゃうけど」
三池「島倉さんは絶対にスケジュールを守る。きょうは体調悪いとか言わないですね」
DVDでは見ていた『フラバラ』をスクリーンで初めて鑑賞できて、中野・三池両氏の話術を堪能し、島倉氏のあまり聴く機会のない話に触れることができた。