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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 × 三田佳子 × 嶋田親一 × 中村克史 トークショー レポート(2)

 山田太一脚本の『花の森台地』(1974)、『高原にいらっしゃい』(1976)、『緑の夢を見ませんか?』(1978)に、三田氏は出演した(『緑の夢』では主演)。

 

山田「『花の森台地』は、あのころ建て売りの住宅地が流行り出した。(建て売りが)売れないので、会社の人を住まわせて、見に来た人にこんなに愉しいってモデルルームにする。だから人が来たときは、喧嘩もできずハッピーにしなきゃいけないっていうコメディーです。

 『緑の夢を見ませんか』は、津川雅彦さんの亭主が首吊って死んで、男は頼りにならないから、女たちだけでペンションをやる。女だけでがんばるっていうのを書こうと」

三田「あこがれの山田先生で、緊張しましたね。あのころ(の連続ドラマ)は13、4回でした。先生のホンは台詞とト書きが一体で、目を上げる、右を見る、とかがただの動きじゃなくて、前後の台詞と一体じゃないと意味が違う。それに抵抗して、中村さんはいたずらした(笑)。でも役者がいたずらしようとしてもできない、すごいホンですね」

山田「テレビは急いでつくりますでしょう。みんながこうしようってそれぞれ言い出すとぐちゃぐちゃになる。みんなが(提案して現場で)言い合うのもいいと思うんですけど、それを13、4回の連続ドラマの忙しい現場でやるのは難しい」

緑の夢を見ませんか?

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三田「作家の生理がホンに出ていて、言いにくいからといって変えると作品にならないですね。

 橋田壽賀子先生は、ト書きをお書きになってない。台詞はすごく多いですけど、そこに負けると…。俳優さんが、この台詞は3回言ってるから取っていいんじゃないか、とか(一同笑)。でも3回だから、橋田先生の作品なんですね。変えちゃいけないって言い募ったこともあります。橋田先生は思いのたけを書きますから長くなるんで、時間の関係でカットはありますけど、なるべく(元の台詞を)残します。

 作家のホンは変えちゃいけないっていう信念でやっています。宮藤官九郎さんの作品(『うぬぼれ刑事』〈2010〉)では、西田敏行さんはどんどん変えて3倍くらいになるんですが、私は変えてない。インターネットで、“三田佳子はひとことも変えてない”って書いてあって、そうでしょ?って(笑)」

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三田大変なんです、一切変えないって。宮藤さんの舞台『印獣』(2009)では、古田新太さんが“サルの走り書きだな、宮藤”っておっしゃってて。でも(台詞は)宮藤さんの言葉で、走り書きなんかじゃないですね。私は8役やらされて、ランドセルしょった小学生から大女優になりきった人まで。台詞をちゃんと覚えて、あれで壊れました。やれると思いますかって宮藤さんに言ったら、宮藤さんは少し黙って“やれると思ってました”って。『Wの悲劇』(1984)の三田佳子が見たいと思ったと。『Wの悲劇』のとき宮藤さんは高校生で、だから今回の大女優役は三田佳子だとふざけ半分で言った。OKしたら、向こうも慌てたみたいですけど。私も30〜40代のばりばりの人たちの中へ入りたいと。

 唐十郎さんの『秘密の花園』(2006)に出たときは、緑魔子さんが若いころやっていた役で、唐先生の台詞も難しい。それで自分の台詞も他の人の台詞も写経のごとく書いた。すると判ってきて、唐さんの散文詩みたいな台詞も入ってきたんです。それ以来、写経はつづけています」

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中村「山田先生の『藍より青く(1972)では、毎週スタッフと集まってて、山田さんは声に出して、台詞のスピードで、ちょっと癖のある字で書いていく」

三田「声に出さないと、飲み込めないですね」

山田「中村さんを信頼しておりました。『藍より青く』では毎週、1週分ずつ打ち合わせしていて、でもあるとき、誰も来ない。ぼくはだんだんいらいらして。あさま山荘へ警官隊が突入する日で、みんなテレビを見ていたんですね。あんな、いつ突入するか判らないのを見て、とうとう頭にきてみんな集まってくれと。それで集まって少し経ったら突入が始まって、みんな見損なった(一同笑)」

三田あさま山荘で思い出しましたけど、アポロ13号の特別番組は、私と若手代議士だった中曽根康弘さんで司会しました(笑)。あれの台本も貴重ですね」

 

嶋田「『6羽のかもめ』(1974)では、初めてフジテレビが倉本聰さんとつきあって、業界の裏話で、アンチNHKだったのでNHKの人はみんな見た(笑)。『勝海舟』事件の直後で」

中村「(大河ドラマ勝海舟』〈1974〉の)スタッフと倉本聰さんがもめまして、倉本さんは体調を壊されて、富良野へ行かれて降板。ニッポン放送のつながりで、倉本さんはフジテレビへ来られた。倉本さんはニッポン放送の社員だったころ、会社にないしょでシナリオを書いてて」

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中村NHKは『鳩子の海』(1974)の(ライターの)林秀彦さんや高橋玄洋さんともぎくしゃくしましたね。先年亡くなったドラマ部長(当時)の川口幹夫さんが、何とかしなきゃということで“土曜ドラマ”を興しました。単発でなく4本シリーズで、作家を大事にしよう、と。“山田太一シリーズ”と脚本家を冠にして、翌年は“ドラマ人間模様” 。初回は早坂暁さん脚本、三田さん主演の『冬の桃』(1977)ですね。深町幸男さんと高橋康夫さんが演出されて。流れが、倉本さんの降板とつながっていますね」(つづく)