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鎌田敏夫 × 中村雅俊 トークショー “脚本で振り返る「平成」という時代” レポート(1)

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 伝説的に語られるテレビ『俺たちの旅』(1975)。その脚本・鎌田敏夫と主演・中村雅俊の両氏が登壇するシンポジウムが昨年3月に行われた。

 他に藤田真文・法政大学社会学部部長、岡室美奈子早稲田大学演劇博物館館長、吉見俊哉東京大学大学院情報学環教授も参加されていて興味深い発言もあったが、筆者の能力の限界により鎌田・中村両氏の発言に絞って報告したい(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【出会い】

鎌田「基本的に自分がやったことを振り返るの厭なんで、かっこつけてるんじゃなくて、いまやっていることでせいいっぱいで。いまの仕事をどうしようってことでずっとやってきてるんで、振り返っていられない。ただきょうはここに座ってるんで、まともに振り返りたいと思います(笑)」

 

 中村氏と鎌田氏の出会いは『われら青春!』(1974)で、中村氏はラグビー部の顧問の先生役。

 

鎌田「学生の役をやってて、学生服を着て料亭に来て。この人に先生やれるかな? やってみたらやっぱりちょっと足りなくて、先生が怒るシーンも泣きそうに(笑)。その感じがずっとつづいて『俺たちの勲章』(1975)では松田優作さんに押さえつけられる役でした。その反動があって『俺たちの旅』(1975)のカースケ・浩介はのびのびやってくれたと思います」

中村「自分が歩んでる人生が急変しました。それまでは文学座の研究生で、普通に仲間とだらだらやってたんで。いきなりオーディションがあって「雅俊、お前テレビ出ろ」と。それまでテレビに出たこともなくて、考えたこともなかったんで。鎌田さんにお会いして、全部書いてくれるということで身を任せました」

鎌田「彼がいいのは、いまだに変わらないんですよ。スターになったら変わる人もいるけど。すごく稀有なことだと思ってます」

【『俺たちの旅』】

 『俺たちの勲章』の翌月から『俺たちの旅』がスタートした。生き方を議論するシーンが上映された。

 

中村「鎌田さんの書いた台詞なんですけど、キャラクターをつくり上げる上で生きるテーマっていうのがあるんですよ。「きょう一日をせいいっぱい生きれば、それでいいんだ」っていう。これをモットーにして、時間を過ごしていく。いい加減に見えても、夢中になれるものを見つけて、きょう1日よかったなっていう生き方をしたい。人から見るとこんなアルバイトばっかりしてって思われるんだけど、それはひとつの考え方に過ぎないじゃないですか。おれ大学に入ったときが、70年安保だったんですよ。学生運動にはまる人と、関心のないノンポリの人たちとがいて。政治とか経済とかにアテンションしろみたいな時代だったんですけど、興味のない人はノンポリと片づけられていた。でもノンポリみたいな連中でも、浩介みたいな(生きる意味を考える)人もいたと思うんですね。傍から見るといい加減だけど、実は信念があって生きてる人間もいるという」

鎌田「議論してますけども、ぼく自身にはいい加減なとこもあって(笑)。いい加減というのは、お風呂がちょうどいい熱さじゃないですかという意味も。いま思い出したけど、これをやってるときに実はひとりの女性から「あなた、いい加減です」と言われて、その女性の顔が厭がってなかったんで、いい加減もいいんだなと思って自信を持ってつくったんですね。

 『俺たちの旅』は男のエゴイズムの番組です。途中でそれをやろうと思っていて(ヒロイン)洋子役の人(金沢碧)に言われたのが、あなたのドラマは女が不幸になると。確かにそうで、男は勝手なことばっかりやってる。

 やがて洋子自体というか、金沢さん自身が変わっていったんですよ。イタリアの女優さんみたいになったねって言ったことがあるんです。上手い下手じゃなくて、芝居を身体で表現するようになっていって。

 ドラマは思い通りにいったりいかなかったり。思い通りにいって悪かったり、いかなくてよかったりするのが面白さだと思います」 

【バブルと崩壊の時代 (1)】

 鎌田氏にはバブル経済を描いた『バブル』(2001)もある。

 

鎌田「あのころはぼくの周りにもいろんな人がいて、5人くらいで焼き肉屋行ってロース100人分頼んだり、寿司屋行って40人前頼んだりして。一夜明けると株で1億もうかるとかありましたからね。みんな金を使いたい使いたいっていうのがバブルだったんじゃないかな。クラブ行ったら100万円チップもらったとか。焼き肉屋の人とかも結局、いなくなったり自殺したり。

 バブルの真っ最中にドラマつくってたんで、いい思いもしてるんですけど。ファーストクラス乗せてもらったり。

 (『バブル』は)大阪BK(NHK大阪)のドラマで、きょうもいらっしゃってるプロデューサーの方と大阪に行ったとき、地上げの爪痕の土地がまだ町中に随分残ってた。それを見たときに、バブルのドラマをやりませんかと。出て来る人にほとんどモデルがあるんで、実際にそのままやったら…」(つづく) 

 

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