私の中の見えない炎

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野沢尚の命日・2004年6月28日

 『破線のマリス』(講談社文庫)などで知られる作家・野沢尚は2004年6月28日に自ら命を絶った。映画・テレビ・舞台の脚本、小説、エッセイなど多分野で活躍していた野沢の急逝は衝撃的であった。

 野沢が東京都目黒区の事務所で自死したのは6月27日の夜から28日未明にかけてのようで、28日午後2時半ごろに死亡しているのが見つかった。事務所のドアや窓は内側から鍵がかかっていたという。事務所を訪ねた家族が鍵を開けて入ると、野沢は窓の取手で首を吊っていた。部屋には遺書があった。

 当時の野沢はNHKが「大河ドラマスペシャル版」として制作する、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」の脚本を執筆中であった。2001年後半ごろに野沢はNHKから「坂の上の雲」の依頼を受け、渡哲也に東郷平八郎役を演じてほしいと内々に打診している。2003年1月に制作が発表され、舞台となる松山市では観光活性化になると大きな期待が寄せられた。

 だが2004年4月22日、「坂の上の雲」の放送が当初の2006年より遅れ、2007年以降になると海老沢勝二会長(当時)が明らかにした。

 

脚本担当の野沢尚さんの取材などに時間がかかり、撮影開始も来年以降にずれ込む。NHKは「基本構想が固まった段階。厚みのある脚本を目指し、予想外に時間がかかっている」としている」(「東京新聞」2004年4月24日)

 

 野沢は綿密に仕事の計画を立て、常に細かくスケジューリングすると語っていた。計画通りにならないと不安になる性分だったそうで(『野沢尚のミステリードラマは眠らない』〈実業之日本社文庫〉)、締め切りは生真面目に守っていた。そんな彼にとって、1年も遅れてしまうのは極めて異例の事態である。

 2004年5月のパーティーで作家の山田太一は野沢と顔を合わせている。山田が他の誰かにつかまっていると、野沢は黙礼だけして去っていった(『烈火の月』〈小学館文庫〉)。

 6月9日に「舞台関係者」といっしょにサッカーを観戦しており、その「関係者」は「変わった様子は感じられなかった。アテネ五輪を舞台にした小説も書いていたし、舞台のプロットも考えていた」という(「日刊スポーツ」2004年6月29日)。

 6月14日に鈴木嘉一・読売新聞解説部次長(当時)と仕事場で面談し、野沢は「疲れているような印象」でありつつも鈴木の質問に的確に答えていた(「AURA」第168号)。

 テレビ『愛の世界』(1990)や『雀色時』(1992)、『砦なき者』(2004)など野沢と多数の仕事を手がけ、彼を育てた演出家・鶴橋康夫は翌年に連続ドラマで組む予定で、6月25日に電話で相談している。野沢は「辛口のホームドラマを書く」と語り(「産経新聞」2004年6月29日)、そのころには宮古島や対馬で「坂の上の雲」の取材をしていた(「日刊スポーツ」2004年6月29日)。

 他に書き下ろし小説「群生」のプロットを書き上げており(『ひたひたと』〈講談社文庫〉収載)、没後に制作・公開されることになる『深紅』(2005)など映画の企画も複数進んでいた。

 テレビや小説、舞台など仕事の依頼は殺到していた。だが同年4月2日に野沢が原作・脚本、鶴橋が演出を担当した『砦なき者』は、ニュースキャスター(役所広司)が首吊り自殺に見せかけて殺されるという悲劇的な展開で、作家の市川森一は「主人公が首つり自殺に偽装されたり、死を感じさせる登場人物が多かった」「自殺する男という設定が入ってくると、書いた自分もその役に引きずり込まれることがある」とコメントしている。野沢と『川、いつか海へ』(2003)で組んだ作家の倉本聰は「仕事量がピークを迎え、これだけ引き受けても大丈夫かという恐怖に似た不安があったのかもしれない。また、テレビ局の人間の無神経な言葉や心ない批評や投書で傷つくこともある」と話した(「日刊スポーツ」2004年6月30日)。『砦なき者』など多数の野沢作品に出演した役所広司は「4月に放送されたドラマ『砦なき者』のドラマの内容と野沢さんの死が自分の中でオーバーラップして混乱しています」と語る(「日刊スポーツ」2004年6月29日)。

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 葬儀は7月4日に東京都中央区の築地本願寺で営まれ、役所広司や豊川悦司といった俳優やスタッフなど550人が参列した。鶴橋康夫は弔辞の中で、遺書に「夢はいっぱいあるけど失礼します。ここまで育ててくれてありがとうございます」と書かれていたと述べた。鶴橋は葬儀場で「(人間)関係が十分に結べない現代人の孤立感を書くのがうまかった。彼もどこかで、孤立していたのか…。なぜ自殺したのかは謎だが、理由は一つではないのでは」とも話したという(「東京新聞」2004年7月5日)。

 野沢作品には幾度も葬式が描かれている。筆者は野沢の葬儀には出席していないが、新聞記事を読んでいて鶴橋演出で葬儀屋が主人公の『最後の恋』(1988)を想起した。

 野沢の死から歳月が流れ、筆者は微力ながら彼の多様な相貌をさぐりたいと思っている。

(『坂の上の雲』〈2009〉は池端俊策らの監修によって脚本が完成して、無事に放送された。)