私の中の見えない炎

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堀啓子 × 安藤宏 講演会 “紅葉と鏡花 牛込神楽坂に花ひらいた文学世界” レポート(4)

泉鏡花高野聖」(3)】

安藤徒弟制度は私生活にも及びまして、鏡花は神楽坂の料亭で伊藤すずという芸妓となじみになるんですね。交際がつづいて夫婦になりたかったんだけど、師匠の紅葉は猛反対します。資金援助してくれる友人がいて落籍(身請け)させることはできたんですけど、紅葉は激怒して反対する。それで泣く泣くふたりは別れたというエピソードがありますね。

 2年後に紅葉が30代で亡くなってしまうんですけど、それを受けて鏡花はようやく結婚する。経緯を小説にしたのが「婦系図」です。とても読みやすい作品で、事実そのままではないけれども鏡花と紅葉の関係を窺うよすがになる。こんなことをされても師匠は師匠だって、鏡花は尊敬していたわけですね。鏡花と紅葉の綺麗ごとじゃない、ぐちゃぐちゃした関係の一端が「婦系図」から見えてきます」

安藤「鏡花は明治20年代の終わりには小説家として文壇に認められたんですが、鏡花が鏡花らしくなっていくのは明治29年の「照葉狂言」。年上の女性に対するあこがれという鏡花らしさが出てきます。

 「高野聖」は鏡花がいよいよ鏡花らしくなって、脂が乗ってくる。明治33年の作品で、この年は西暦1900年でひとつの節目です。20世紀の始まりなのに、こんなおばけの世界を出現させた筆力。よほど昔の話だと思うかもしれませんが、ほぼ同時代の話として書かれています。近代に妖怪、おばけがいると描いたのは素晴らしいことだと思うんです。

 若いお坊さんが飛騨の山中のひとつ家で、妖艶な美女に誘惑される。かつて誘惑に負けた男たちは魑魅魍魎に姿を変えられてしまっていた。その坊さんは何故か無事に帰ります。文庫本で80ページぐらいですので2時間ぐらいで堪能できる。

 1度読んだだけではなかなか判らないんですが、繰り返し読むといろんな仕掛けがしてあることに気がつきます。まず小説の語り手が3人いるわけです。ひとりは若者、もうひとりはお坊さん、もうひとりは最後の鍵を握る親仁。一人称はわし、おらと使い分けられています。外枠にいるのが旅人の「私」。「私」は宗朝と懇意になって話をせがむ。そしてその体験談を、ある程度の時間を隔てて読者に報告しているようですね。一見そのまま報告しているように見えて「私」の後づけの解釈が入ってきているのではないでしょうか。少なくとも情報を取捨選択して編集している形跡がある。どういう編集かというと、女は妖怪だったという観点からの編集です。

 2番目の語り手は宗朝で、物語の大半は彼の体験談です。この内容も自由に語り変えられているかもしれない。そもそも「私」とのやり取りを見てもこのお坊さんは俗世間に通じているようで、そもそも「高野聖」というのは歴史的にいかがわしい。聖と俗を両面持っている。本来は弘法大師信仰を全国に広める遊行僧だったんですけど、時代が下って中世になるとありがたいお話をして庶民からお金をとって回る輩が徘徊していた。江戸時代に禁止されて一度は姿を消すんですが、明治になってもなお多くの説教師がいたらしい。つまり本当に名僧であった可能性から身分を騙っていた可能性まで考えられる。そういうちょっとしたいかがわしさがある。話がすごく上手で、さりげなく冒頭に洪水の話を振っておくとか相当の話術がある。いろんな人に同じ話をして、するごとに洗練されていったのかもしれない。女は妖怪だというふうに上手く編集している。

 3番目の語り手は親仁で、最後にいわゆる真相を言って聞かせるんですが、伝聞としてしか語っていない。水に霊力が宿っているとか、現場で直接見聞できる立場にいたにもかかわらず、肝腎のことは言い伝えのように語る。その真相が女は妖怪だということです。

 3人の語り手の方向が一致しているというか。女が妖怪だったという一点に向かって、3人が共同して自然に進んでいる感じがする。ここが読みどころだと思うんです。

 入れ子構造になっていて、独特の手法によって近代の世の中にどういうふうにおばけという共同幻想の世界を甦らせることができるか、巧妙な操作があるんじゃないか。回想と伝聞による事実のひとり歩き。もしかしたらそうであったかもしれない「事実」が自然にひとり歩きし始め、宗朝が「ひしひしと胸に当った」と言っていますが、思い当たっていく。読者もつられて、日常から非日常的な世界へ連れ出されてしまう。それが言文一致体によって幻想を描く、ひとつの方法だったんじゃないか。言文一致体は当時のひとつの文体で、いまで言うところの現代文です。もう一方は古文ですね。明治元年になって古文から突然に現代文になったわけではなく、日本人の文章は明治になってもしばらくは古文だったですね。小説が一斉に現代文に移り変わっていくのは明治30年代だと言われています。ですから「高野聖」は、小説家たちが普段の言文一致体で書いてみようじゃないかという時期だったんですね。言文一致体で幻想を描くというのは難しいチャレンジだったと思います。日常の話し言葉というのは判りやすいけれども、おばけを描きにくいんですね。同じことでも古文だと比較的、書きやすい。泉鏡花は古文、和文体でも幻想を描いてますけど自然に読める。ただ言文一致体でおばけを描こうとすると(「高野聖」に限らず)入れ子構造を好んでよく使うんですね。Aさん→Bさん→Cさんという伝言ゲームのような形ですが、わざとやっているような気がする」(つづく