
安藤「泉鏡花の作品には数々の妖怪、おばけが出てきます。妖艶、というのがひとつのキーワードですね。女と水と夜、これが三大要素です。この3つが合体すると怪異が現れる。どれかひとつ欠けてもダメなんですね。揃ったときに妖しい世界が立ち上がってくる、という特色があります。デビューは明治20年代で、亡くなったのは昭和14年。その間に300編以上の幻想的な世界を描いた。写実的リアリズム全盛の時代ですから、少数の読者はいたんですけど、文壇では不遇だったと一般に言われています。
(鏡花の作品で)このあたりから読むのがいいんじゃないかなと思うのが『夜叉ヶ池 天守物語』(岩波文庫)。とても読みやすい。「夜叉ヶ池」は映画にもなっていますが、非業の死を遂げた恋人同士が500年後に妖怪になって再会する。「天守物語」は姫路城の天守閣に住んでいる姉妹が実は妖怪で、下界の若侍と禁断の恋をしてしまう。それで悲劇的な結末が待っていて、怨念が人間世界に罰を下す。どちらもスケールの大きいお話です」
安藤「のちに川端康成も三島由紀夫も鏡花を絶賛していますし、私の恩師は三好行雄先生という方だったんですが、たとえ漱石や鴎外が読まれなくなっても泉鏡花は残るだろうと講義などで常々おっしゃっていました。それから、泉鏡花をちゃんと評価できない文学史はおかしい、と。参考書を見ますと、明治20年代にちょっと出てきたくらいのところしか紹介されないんですね。他の流派との説明が難しいので省かれちゃう。でもそれは文学史に欠陥がある、と三好先生はよくおっしゃっていました。
ただ爆発的(な人気)にならないのは理由があって、文章にやや読みにくいところがある。でもそこがいいんですよね。スルメイカというか、よく噛んでいるうちに味が出てくる。(読み返すと)前に気がつかなかったことにいろいろ気がついて、そうだったのかという深みにはまっていく。
おばけと言えば柳田國男はご存じだと思いますが、その「遠野物語」は小説でもなく筋もなく、ただ岩手県の遠野地方に伝わる、おばけにまつわる民話を集めて並べたものなんですね。雪女や座敷わらしなどのくくりがあるんですけど、明治まで民間伝承の豊かな文化が残っていたかがよく判ります。それがごく日常の風景なんですね。「河童ね。河童なら◯◯さんが先週△△で見たそうだよ」「おれも見た」と妖怪が出てくる。共同幻想で、ひとりが見たわけじゃなくもうひとり見た人が出てくると、共有できる文化になる。みんなでかわいがってた小さい子どもが川にさらわれていなくなってしまった、そんなバカなことがあるか、あれは河童の仕業に違いない、10年前もこんなことがあった…。住んでいる人たちの共通する思いがひとつの文化をつくっていく。
柳田國男と泉鏡花は、申し合わせたわけではないんですが、自然主義全盛で日常のリアリズムってことが言われた時代に近代の考え方にクエスチョンマークを突きつけてみせた。現代人が失った共同幻想としておばけ。われわれは大切なものを失ってしまったのではないか。それを想像力で奪還していくのが文学の力で、そこに泉鏡花の今日的な意義があるんだろうと」
安藤「本名は泉鏡太郎で明治6年生まれ。尾崎紅葉は漱石と同じ明治元年生まれで、6歳の差がある。鏡花は金沢生まれの金沢育ちで、金沢は古風で繊細な城下町で、金沢大学の先生がしみじみおっしゃっていました。いまでも夜、古民家で入り組んだ階段を登っているとなんか出てきそうな気がするんですね、こういうところで育ったから鏡花はああいった世界をつくったんだねって。
鏡花の父親は加賀藩の彫金師で、鏡花が10歳のときに母親は29歳で亡くなっています。よく言われるのは、年上の女性に鏡花が特別な思いをずっと持っていた要因はお母さんが早く亡くなったからではと。
10代後半にはもう小説家を目指して東京に単身で修行に来るんですけど、いろんな経緯があって苦労して、ようやく尾崎紅葉に弟子入りした。師弟関係ですけど実は6歳しか違わないんですね。紅葉は10代で既に堂々たる文壇の第一人者でありました。牛込にある紅葉の自宅に住み込んで修行をしたわけです。
尾崎紅葉は文学者ですので個性的というか癖があって、とても親分肌の一面があったようです。明治の前半期はまだ徒弟制度で、弟子の原稿を雑誌に載せるのも師匠で、弟子は師匠に従わなければいけない。「義血侠血」という作品は、私は大好きなんですけれども、新派の演劇で「瀧の白糸」というのになってよく知られていていまでも上演されていますね。原稿が残っていて写真版で刊行されていて実物は慶應大学にあるんですが、それを見るとびっくりです。真っ赤で紅葉の手が入っていて、原型を留めていない。人物設定からあらすじまで別の作品のように、紅葉が手を加えた跡がある。今日の著作権の概念では許されないことかもしれないけど。紅葉は読売新聞とか博文館とか大手のメディアを握っていて、絶対の権限がありました」(つづく)


