私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

高樹澪 × 北浦嗣巳 × 油谷誠至 × 高橋巌 × 古林浩一 × 清水厚 × 勝賀瀬重憲 トークショー “今だから語れる実相寺昭雄秘話” レポート・『屋根裏の散歩者』『D坂の殺人事件』『カラヤンとベルリンフィルのすべて』(7)

【衣装合わせの想い出】

 実相寺昭雄監督は90年代に江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』(1994)、『D坂の殺人事件』(1998)を撮っている。

 

清水「『屋根裏』は(実相寺監督は)元気でしたね。ぼくがセカンドで衣装担当。(主演の)三上博史さんが衣装を決めるときに監督は来てくれない。「清水、決めといていい」って言われるんだけど。候補を何枚か着てもらって後で監督に見せようと思ってたら、三上さんは監督に見てもらわないと困るって言い出して。監督はいないわけじゃなくて、すぐそばのスタッフルームにいるんですよ。行きたくないという理由。呼びに行ったら、監督は衣装部屋の前まで来て、入り口から顔だけ出して「あ、それでいい」。そのまま帰っちゃって、さすがに三上さんもあきらめた(一同笑)。『D坂』は(スタッフでなく)遊びに行っただけだけど、監督はにこにこしてましたね」

高橋「(『D坂』は)2週間くらいで撮ってるんで、あっという間に終わった。

 同じようなことがあって、真田(真田広之)さんの衣装合わせに監督は「行かねえ」。東映の撮影所の前にオズがあって、そこの喫茶店に行こうってぼくも連れてかれちゃう。「監督、衣装合わせは?」「いいんだよ」。プロデューサーの一瀬(一瀬隆重)さんが「何で監督は来ないんだ」って怒り出しちゃって。「お前がちゃんとやらないとダメじゃないか」って言うんだけど、来る人じゃないんで」

古林「『悪徳の栄え』(1988)のときも衣装合わせに来なかったんだよね。候補の写真を見て「いいんじゃない?」って言ってた。好きな役者さんだと来るんですよ(一同笑)。寺田(寺田農)さんのときに「あなたは何着たって似合わないんだから」って言ってなかなか決めない」

勝賀瀬「『姑獲鳥の夏』(2005)ではいそいそと監督来て、原田知世さんがいるから(一同笑)。CDを持って来て「ここにサインしてください」」

【音楽関連の仕事 (1)】

 オペラやクラシックコンサートの演出も手がけている。90年代から2000年代にかけて東京芸術大学演奏センター教授を務めていたこともあって、その種の仕事が相次いだ。

 

勝賀瀬東京二期会の「魔笛」と「カルメン」で5回くらいつかせていただきましたけど。監督は芸大に行ってからお人柄が変わった。その前は鬼のようで、タバコを吸ってると青筋が立ってむっちゃ怖い。式神みたいだなと思いましたけど、芸大に行ってから「イヒヒ」と笑って」

高橋「ぼく、そのころ会ってない。六本木の飯倉片町を歩いてたら、勝ちゃん(勝賀瀬氏)だったか誰かと監督が歩いて来て「いまから飲みに行こうぜ」って言われたけど、結構ですって断っちゃった(一同笑)」

勝賀瀬「監督はオペラのソリストにひたすら何も言わない。演出を徹底的にしないっていう。舞台装置をつくって準備はしてるので。楽譜っていうテキスト、正解があるので演出は何も口を挟むことはないんだ、ソリストの方に気持ちよく歌ってもらえればいいんだというようなことをおっしゃっていました。練習中にとにかく何も言わないので、ソリストの方が1回切れたことがありまして。「なんか言ってください!」って。でも監督はにこにこして、ほんとに演者には何も言わないな(笑)」

北浦「フランスとかイタリアとかから来てた人もいて、そういう人にはフランス語で指示を出してましたね。演出はつけてましたよ(笑)。ただ気分によって喋らない。美術とか(指揮者の)小澤征爾さんとか錚々たる人がいるから、言うことはあまりなかったかも」

 

 コンサートの映像収録の仕事も多数。実相寺監督は自分の能力がいちばん出せる仕事だと自負していた。

 

古林「音楽はすごく好きで、映画を撮るより音楽をやりたい。ただでもやるという人。スケジュールが早くから決まるから「音楽はらくだよね」ってよく言ってました。小澤征爾さんがぼくの隣にいて、実相寺はインカムの向こうから「あのオーボエの人の口がエロいから撮って」。聞こえたらまずい(笑)。愉しそうでしたね。

 勝ちゃんが撮った映像があるんですけど、打ち合わせのときは厳しい。スコア(楽譜)にものすごく細かくカット割りしてある。

 カラヤンヘルベルト・フォン・カラヤン)が東京に来たときにテレビマンユニオンが撮影をすることになって(『カラヤンベルリンフィルのすべて』〈1981〉)、実相寺が演出。カラヤンからこう撮れ、ああ撮れって指示があったそうなんですね。楽団の中にカラヤンがいて振っているという画。いまじゃ当たり前ですけど、その当時は楽団の中にカメラが入るなんてありえなかったけど、カラヤンがそういうふうにしなさいと。音楽の中にいる自分を撮りなさいと言ってくれたらしくて。カラヤンは自分の音楽のことだったら何でもやってくれる、それ以外のことは言うことを全く聞いてくれないそうでした。

 聞こえない音も実はカメラで寄ると聞こえると。カット割りはすごく大切で、指揮者がどういうふうに指揮をしているのか判った上でカット割りをしていたということです。リハーサルには必ず行って聴いて、音楽が好きだから聴きたかっただけかもしれないけど、譜面を追いながら指揮者のことを見てカット割りの準備をしてました」

北浦「譜面が読める監督なんて実相寺さんが初めてだったからね。『帝都物語』(1988)で新日フィル(新日本フィルハーモニー交響楽団)の人を並べて、スコアを見ながら指示出してましたね。いろんな監督さんとつき合ってきましたけど、クラシックのスコアが読めるなんて」(つづく