私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

上野昂志 × 山根貞男 トークショー レポート・『黄昏映画館 わが日本映画誌』(3)

【上野批評の特性 (3)】

山根「(『黄昏映画館 わが日本映画誌』〈国書刊行会〉では)大島渚について書いた文章は多いですね。でも何本も書いたなら作品や姿勢を支持するのかと思ったら、反感とまではいかなくてもちょっと違うんじゃないですかっていうのもわりあい多い。そこがこの本の面白さですね。山田洋次については4本ぐらいありますが、大変いいんだって書いてるのともう映画をつくらないでくれみたいなのとがいっしょに並んでるんですよ(笑)。上野さんが意見を変えたのではなくて、むしろ山田洋次の映画が初期と後期とで変わっていったんだと。それが見えてくるんですね。野次馬的(笑)。ただ最近の山田洋次はつまんなくても、昔はすごくいい映画を撮ったんだという文章を本に入れないでおこうとはならないですね」

上野「そうですね。60年代のハナ肇を主人公にした喜劇は面白くて、寅さんも最初はいいんだけどだんだんつまんなくなって、寅さん抜きのやつはもっとつまらなくて、どうして!?という(笑)。ただ加藤泰の場合は、初期のはあんなに面白かったのにどうしてこうなっちゃうのというのはないですね。変化しなさそうな加藤さんも、撮る題材も撮り方も変化していったんですけどそういう落差はない。それぞれのあり方の問題で、こちらはそれをどう見るかってことでしかないけど」

山根「この本を読んで上野さんの批評のあり方だと思ったのは澤井信一郎の『日本一短い「母」への手紙』(1995)についてで、こんなの撮るのかと思って予告編を見たらつまんない。大丈夫かなと思って映画を見たらよかった。あの予告編は何だって怒ってるんですね。予告編とかのイメージが全然違うってのが上野さんの批評のあり方をよく示していると思いました。ぼく自身にはこういうのがないなと反省している」

上野「ど、どういうことですか(笑)」

山根「そんな深刻な話じゃない(笑)。『日本侠花伝』(1973)にみなぎっているパワー、情熱についても書かれていますね」

上野「パワーを言葉にするというのは最終的には不可能で、ぐるぐる回ってる。少しでも近づければいいけどできないっていう書き手の無力さ。言葉では追いつかないと思わせてくれる作品に出会うのが最高の幸せですね」

山根「簡単につかまえられる映画は大したことない。多くの文章はこの映画の魅力を上手いこと言い当てたって満足してしまう。そういう文章がよい評論だと思われちゃう」

上野「批評を読んでいて、書いてる人にほんとに面白かったの?って訊いてみたくなるときもありますね(笑)。映画はくまなく見ることができなくて、何度も見ていても見切れないものがある。そういう思いを起こさせる映画ほど、つれない恋人に思いをかけるみたいなところがある。そういう映画が少なくなっていて、山根さんも批評で追及されてきたと思いますけど。批評の衰弱も映画の衰弱に関連するのかなって気もしますね」

山根「暗い話ですが(笑)」

【映画ジャーナリズム】

山根「依頼があったから書くって言われてましたけど、この本の中でいちばん多いのは「ガロ」に連載したものですね。その連載のタイトルが「黄昏映画館」とついてたわけですけど」

上野「見開き2ページで、だいたい7枚半から8枚」

山根「それと「写真時代」」

上野「そちらは4ページぐらいですね。末井(末井昭)編集長が平気で長くやらせて」

山根「何を取り上げるかは自分で決めるわけですが、ぼくがいま「キネマ旬報」に連載しているのもそうであれをやってくださいと頼まれるわけじゃない。選択がこちらにあるんですけど、上野さんは、大部分は依頼された原稿であると。依頼されない何かもいっぱいありますね。ぼくは上野さんとはずっと親しくて、どういう映画を見てるかはしょっちゅうお酒飲んで喋ってた。だけど書かれてないのもありますね。そういうのは依頼されていないということ。そこで何故、上野昂志に依頼しなかったのかと。映画ジャーナリズムの問題で、どんどん少なくなっていった。「シネマ」は9冊、3年で終わって「映画批評」もあって、80年代に「リュミエール」っていうのがあったけど」

上野「「キネマ旬報」に山根さんたちの興した「シネマ」、小川徹さんたちの「映画芸術」。「映画芸術」は不定期刊のいまと違って月刊で、不定期と言うと荒井(荒井晴彦)が怒るか(笑)。「映画評論」とかも」

山根「かつては週刊誌とかも含めて映画についての文章が氾濫してました。ぼくなんかそういうのを読んで頭にきたりしていたけど、どんどん狭くなっていったなと。だから上野さんがいっぱい見てるのに書いてない映画がある」(つづく