私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

青木真次 × のむみち × 田村優子 トークショー レポート・『場末のシネマパラダイス 本宮映画劇場』(2)

【『もぎりさん』】

 『もぎりさん』(2018)と『もぎりさん session2』(2019)はキネカ大森で上映されたショートムービーシリーズ。かつて映画館でもぎりのアルバイトをして、いまもキネカ大森でもぎりをつづけているという片桐はいりが主演を務める。

 

のむみち「『もぎりさん』は、きょうの昼の部のゲストが片桐はいりさんで楽屋でお喋りさせていただいて。『もぎりさん』の中に幽霊の話が多いのは、幽霊が出ない劇場は劇場じゃないんですって。幽霊がいてこその映画館だから自然とああなったっておっしゃってました」

田村「うちの本宮も昔お墓だったらしくて、ちっちゃいときは映画館のトイレが怖くて、初めて行ったのは10歳以上になってからですね」

のむみち「私は、映画館通いはもう30過ぎてからですね」

青木「昭和40年代くらいの映画館のトイレってあんまり綺麗じゃなかった。はいりさんが働いていた銀座の映画館も、あそこもトイレの構造がいまっぽくなくて、あれよりもう少し換気と水回りが悪いイメージ」

のむみち「そりゃ怖いよね」

青木「何で便所の話(笑)」

【『場末のシネマパラダイス』】

 田村優子氏は1914年創業の本宮映画劇場の3代目。著書『場末のシネマパラダイス 本宮映画劇場』(筑摩書房)は青木真次氏が担当した。

 

のむみち「『場末のシネマパラダイス』は大変な名著です」

青木「この本宮映画劇場がすごいですからね」

のむみち「2021年の刊行ですが、どういう流れだったんでしょうか」

青木「webちくまというメディアがあって写真家で編集者の都築響一さんが「独居老人スタイル」というひとり暮らしの老人に取材する連載をしていて、アート系の人が多かったんですけど。その担当が筑摩書房の同僚で、いまは玉川奈々福さんという浪曲師になってるんですけど、その人が「「独居老人スタイル」で福島の映画館を取材するんだよ」って。福島のどこって訊いたら「どこだっけかな?」(笑)。田村何とかさんって。実は私は生まれたのが本宮映画劇場から歩いて2分ぐらいのところ」

のむみち「2分!」

青木本宮駅を降りるといまはロータリーになってるけど、そのあたり。子どものころから家族の会話の中で父親が田村さんの劇場の桟敷席にいたとか、6つ上の兄ちゃんが新東宝の『鋼鉄の巨人』(1957)見たとか聞いてた。私は行ったことはないけど、本宮に田村って映画館があることは記憶してて」

田村「うちの映画館は田村って呼ぶんですよ。「田村の娘か」みたいに言われて、知らないおじさんに「あんたかい、田村の娘は」とか(笑)。いま思えば仕様がない」

青木「今度、都築さんは田村に取材に行くんだなと。また私のいとこは30歳ぐらい上なんだけど、田村さんのところで映写技師をやってたんですよ」

のむみち「本の中に全盛期には映写技師さんが7、8人いたってありますね」

青木「写真も載ってる。田村さんのお父さまで2代目の方がものを棄てない方でいろんな資料が出てくる。過去の従業員の記録もあってうちのいとこも「入社:昭和24年4月1日 前職なし 職種:映写技師 昭和27年11月末日退職」とか残ってた」

田村「父の話によると、映写技師さんでお利口な方は辞めちゃう。お給料安いし。できる人ほど去っていく。青木さんのいとこの方はいなくなっちゃって、父はがっかりしたって(笑)」

青木「二本松で映写技師をつづけてたらしいから、そっちが給料よかったのかな(笑)」

田村「青木さんは何歳まで本宮?」

青木「私は1960年12月生まれで1965年の11月ごろに福島に引っ越して。この本に出てくる商売敵の中央館では「東映まんがまつり」を見た記憶があるんですけれども。田村さんのところでは映画を見たことがなくて。

 webちくまの後で浅草コレクションっていうイベントで田村さんがポスター展をやられて、そこで初めてご挨拶して。短いのを3回ほど書いていただいて、そこで1冊書いていただこうと。浅草のときの人たちがバスをチャーターして本宮に行ったことがありまして、私も田村さんのところに伺って。お父さんの仕事場ものぞいたんですね。そしたらフィルム缶がどーんとあって『情欲の谷間』(1962)もあって。ピンク映画初期の女ターザン物では歴史的な作品で「えっ!」。内心すごくびっくりしたんだけど、後で田村さんに訊いたらフィルム缶だけだって(笑)」

田村「一部だけあります。全巻はない(笑)」