私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

今野勉 × 中堀正夫 トークショー “実相寺昭雄 Day&Night” レポート(2)

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【『おかあさん』の達成(2)】

今野「(「あなたを呼ぶ声」〈1962〉)これは1カメ、1台のカメラで撮ってる。出口のセットがあって、照明で外に出た感じがする。そこから円型で街のセットをつくる。池内淳子は円型に沿って歩いてるんです。エキストラは通過してまた通過して使い回して、立ってるだけの人もいて、街中の雰囲気が出てる。街で撮ってると思わされちゃいますね。テレビと映画の違いも判らない人は、大島渚に書いてもらったってだけで、ト書きを全部再現しようとするでしょ。大島渚はテーマとかは優れているかもしれないけど、テレビカメラのことは何も知らない。だけど黙って受け取って来て、あんなふうに撮る。

 喫茶店池内淳子と少年がいるシーンで、向こうの工場の煙突から煙が出てます。下町の工場があるということを示すためです。スタジオの生放送でどうやったかというと、クロマキーっていう合成技術が出たばかりで、喫茶店の窓のセットの向こうをブルーにしておく。ブルーは抜くことができて、そこに合成してる。工場の屋根や煙突の切り抜きの前に水槽を置いて、砂を筒から落としてる。水に垂れていくところをひっくり返して、煙が昇るように合成してる。考えたのは多分、美術の森健一っていう奴ですね。

 どのシーンもテレビカメラのよさを活かして、テレビカメラで撮る。外へ行ってフィルムカメラで撮ることもできたんですけど、それをしないで、テレビディレクターとして認められるということに徹してロケをしないでいる。第2作もそうですね。3作目でフィルムを使ってますが、フィルムとわかんないような撮り方ですね。フィルムをテレビに合わせている。

 「あなたを呼ぶ声」でヒット曲の「ルイジアナ・ママ」と「トランペット協奏曲(コンチェルト)」の2曲しか使ってなくて、劇伴がない。作曲家に、このシーンにこういう音楽を(注文する)というのがない。デビュー作で、自分で選んだ曲でいいってのは相当な自信ですよ。

 「生きる」(1962)はいま見てもとんがってて誇張したコメディで、いまやっても干されるかもしれない(笑)。そういうことを彼は、怒られても繰り返しやるんですね。

 ぼくは芸術祭をやるときに条件をつけられて、今度16㎜フィルムの新しい現像機を買ったのでそれを利用するようにオールフィルムで撮れと。『土曜と月曜の間』(1964)という作品ですが、これがイタリア賞を取ってぼくはイタリア賞の日本人第1号なんですが、もし実相寺が撮っていたら、彼は何も言われなくてもフィルムで撮っていたかもしれないね。テレビカメラで撮るというのは、彼にとっては一時的なことで。フィルムでもテレビもどっちでもいいと言われたら、フィルムを選んだんじゃないかな。

 実相寺のフィルム好きだってことが何となく知れ渡ったせいか、彼は映画部に行って円谷プロで名を上げることになるんだけど」

 

【中堀正夫氏との出会い】

中堀「『ウルトラマン』(1966)で出会ったとき、ぼくは特撮班で、学校出てすぐ入った。ガマクジラって怪獣(「真珠貝防衛指令」)のときに、本編の監督は別班の特撮には来ないわけですよ。ぼくが(スタジオの)上で準備をしてたときに、照明の人が「実さん来たぞ」と。そのころ既に禿げ上がってるおやじが入ってきたんですよ。下に降りたら、ガマクジラは真珠を食べる怪獣で、真珠をテグスでつないで引っ張って食べてるように見せる。何だよ、ひどいなと思って見てたけど、スーツアクターの人は一生懸命やってる。1回テストやったら監督がばっと出て来て、ガマクジラに入ってる人に「いまの動きで真珠を食べる女の気持ちが判りますか!?」 おれは何言ってんの、この監督は(一同笑)。ぼくは極端に言えばカメラのことしか勉強してないから、演出家ってこういうことを言うんだと。「女の気持ちで食べてください」って禿げたおっさんが真剣に言うんだけど、食べるったって後ろで特撮のスタッフが引っ張ってるだけなのに」 

中堀「大島さんと監督とは6~7歳の差がある。大島さんは映像表現ばっかり追っかけてると(完成作品を見て)怒ってて、そこで歳の近い佐々木守さんを紹介した。創造社は赤坂の、コダイと同じところにあったんですよ。

 佐々木さんとかみんなでどういう怪獣をつくるかとか、話し合ってる。教養のある人たちでジャミラアルジェリアの問題から名づけたとか、おれら全くわかんないわけ。その企画室はそういう思いでつくってるけど、特撮班はカメラ出身みたいな(技術系の)スタッフばっかりで企画室の話し合いなんか知らないから「宇宙に帰れない怪獣なんだから、もっと淋しく歩いてくれ」とか言ってて(笑)後で揉める。実相寺監督は怪獣が人間みたいにするなって怒って、特撮嫌いになってたけど。

 空いてるときは監督について、みんな監督の後を追って、無収入みたいな奴らばっかりでしたね(笑)。監督はTBSにいて、会社にはほとんど行かないんだけど。ミニチュアつくってた上野さんとか、夕方になると美術室にみんなバラバラに集まって。お腹空いて来ると、食いに行くぞって連れていかれて。ぼくは最終電車までいて、監督は車。でも朝早く出てくることもあって、この人寝てねえのかな。

 そして映画をつくりたくなって京都で『宵闇せまれば』(1968)をつくって、東京のスタッフは何でおれらを使わないんだと(笑)」(つづく