私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

佐野史郎 カカクコム15周年記念インタビュー(2012)(3)

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――本当にマルチに活躍されている佐野さんですが、今後やってみたいと思っていることはありますか。 

 

佐野 実はずっと企画を練っている映画が一本あって、そろそろそれにも取りかからないといけないなと思ってます。もうすぐ還暦ですからね、時間がない。あと、ライフワークとして続けていることに、小泉八雲の朗読があります。これも、実は初めから僕がやろうと思っていたことではなくて、オファーを受けてから始めたことなんですけど、続けて行くうちにライフワークとして大切な作業と思えてきたんです。で、そう思った途端に「これは私のライフワークです」って宣言しちゃったっていうか、風呂敷広げちゃうわけですよ。大体僕の人生ってそんな感じです。

 小泉八雲について言えば、故郷を松江に持つ人間にとっては特別な文人です。「ヘルンさん」の名で親しまれるラフカディオ・ハーン帰化名、小泉八雲明治23年に来日して初めて英語教師として赴任した松江の地で妻セツを娶りました。そしてセツからたくさんの怪談話を聞き、『怪談』の執筆者として世界中に知られることになったのですが、僕自身は松江の出身で、幻想怪奇の世界が好きだとはいえ『怪談』や教科書に載っていたようないくつかの著述を読んだことがある程度でした。でも、テレビ番組や雑誌の取材、講演などの仕事を通して次第に小泉八雲の世界に惹き込まれていくようになったんです。そうすると、その中で、俳優ですから必ず朗読をする機会が生まれる。で、そうこうするなかで小泉八雲の朗読会の依頼が正式にくる。で、実際に朗読やるとなったら、音楽好きなんで、何か音楽欲しいなとか思ったりして。小泉八雲の百回忌の法要の時に初めて2時間もの長さの朗読をやったのですが、郷土のシタール奏者の方を紹介していただいて、即興で演奏していただいたんです。「言葉と音のかけあい」はバンドのセッションのようでもあり、非常に演劇的でもある。いや、むしろ古典芸能に近いと言えるかもしれません。そうして、その後、定期的に自分で小泉八雲の構成台本を書き、松江南高校のクラスメイトでハードロックバンド「BOWWOW」のリーダーであり、世界的ロックギタリストの山本恭司が音楽を担当し、今の2人のユニットでやるスタイルになったんです。いきさつとしては自然発生的にそうなったわけなんですが、結局は自分があれやこれやに興味を持っていたことが繋がっていったんだと思います。山本恭司と僕のライフワークとなっている小泉八雲の朗読ユニットは、演劇でもない、バンドでもない、朗読劇でもない、「映像のない映画~Blind Movies」とでもいうような、音でもって映像を浮びあがらせる作業としてずっと続けています。 

――やはりそのマルチな感覚が佐野さんならではの小泉八雲を作り出しているんですね。最後に、佐野さんから見て、何かひとつのことを長く続けるひけつのようなものがあったら教えてもらえますか?

 

佐野 あくまでも「僕の場合は」ですけど、先ほども言った「風呂敷を広げちゃう」ってことですかね。できるかどうかということをすっ飛ばして、先にやりたいこと、見たいものをイメージしちゃうんです。たとえば、本を作る場合に、内容はともかく、最後のあとがきとか解説とか、本のオビに書かれる推薦文なんかを先に連想したりするわけです。あと、書き出しの1行とか、細かいパーツパーツは何となくイメージがあるんだけど、ほかはほとんど決まってない。でも、そういうイメージをまず持っていて、後は、先にも話した点と点を結びつけていくという作業をしていくという感じでしょうか。何点かはっきり見えているポイントが、まず先にあることはマストですね。

 まずは最初の受け手である自分自身がおもしろいと思わなければダメですよね。もちろん、自分がおもしろいと思っても、ほかの人がおもしろいと思ってくれるかどうかはわからないわけですが、まず自分がおもしろいと思ったポイントがないと。でも、そういう、おもしろいものって、探してもなかなか見つからない。見つかるときはすぐに身体に入って来て、サッと見つかるんだけど。だから、いつでもそういうおもしろいことをキャッチできるようにセンサーを働かせておくことが必要なんだと思います。

 

――そうですね。そういうセンサーは、よりよいサービスを作るうえでも非常に大事だと思います。いろいろためになるお話、ありがとうございました。

 

以上、価格comのサイトより引用。