冷酷非道な男(室田日出男)にだまされて殺され、コンクリート詰めにされたトルコ嬢(谷ナオミ)。だが彼女の飼っていた黒猫が、奇妙な暗躍を始める。
トルコ風呂を舞台に、ホラーとポルノを融合させた奇怪な佳作『怪猫トルコ風呂』(1975)。タイトルの自主規制で長年封印状態にあったが、2000年代からリバイバル上映が行われるようになっている。この2月に神田でも上映され、脚本を担当した掛札昌裕氏のトークショーがあった。聞き手はやはり脚本家の佐伯俊道氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【『怪猫トルコ風呂』について(1)】
掛札「角川の未映画化シナリオ集(『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』〈角川書店〉)に載ってるけど、「火炎人間」っていうのが流れたんですよ。その次は「火炎人間対透明人間」、それも流れて。プロデューサーの田中文雄さんが今度は流れないってゴジラを書いてくれと。そしたらこれの話も来た。かねがね怪猫映画は興味あった。戦前の鈴木澄子さんのは、面白かったらしい。桂千穂さんが言ってたし。戦後は、入江たか子さんのが面白かった。その流れがなくなってて、復活させたいと。最初の電話で「怪猫トルコ風呂?」って聞き返した。当時東映はトルコ風呂の映画つくってて、そこに化け猫を出すと。当時の岡田(岡田茂)社長がつけたタイトルなんですけど」
掛札「いろいろ考えて、ヒロインはひどい目に遭う典型的な日本的女性。悪役は徹底的に女を食い物にしてる悪い奴。こっちに力を入れて考えました。悪いおかみさんは、東映京都のニューフェイスだった人で、蜷川幸雄さんの奥さんになった方。ピアノを弾く美少女を出すってのは、ぼくの趣味(笑)。そうやってつくっていった。
普通の時代はつまんないから、赤線がなくなる日から始めました。トルコっていまの人はわかんないだろうけどソープランドです」
佐伯「普通のライターなら『怪猫トルコ風呂』とゴジラだったら、ゴジラとりますよね。東宝はギャラ高そうだし」
掛札「怪猫がやりたかった(笑)」
佐伯「ぼくのカチンコ(助監督)デビュー作は『ポルノの帝王 失神トルコ風呂』(1972)。いきなり泡踊りのシーンでカチンコ叩けと言われました。岡田茂さんの企画ですか」
掛札「企画っていうかタイトル考えたんですよ」
佐伯「『温泉みみず芸者』(1971)とかとんでもないタイトルもありますね。そういう人が社長になっちゃう」
掛札「最初は “将軍と二一人の愛妾” で、実際やるときにエロがついて『エロ将軍と二十一人の愛妾』(1972)と(一同笑)。岡田さんは、怪猫をかねがねやりたかったんじゃないですか。怪猫とトルコなんて、なかなかそんなアイディアは浮かばないですよ。
何と2本立てだったかな。トルコって名前がなくなったのは、トルコ大使館が文句つけたから。DVDも大使館に怒られるってことでしない(笑)」
佐伯「トルコってタイトルがつくと東映チャンネルでも放送されないですね。綺麗なプリントですが、シネマヴェーラの内藤さんが3年くらい前に30万くらい自前でプリントしたいと言ったら(東映は)自分でやるならどうぞと。去年、『従軍慰安婦』(1974)もシネマヴェーラが焼いて」
掛札氏と中島信昭氏の共同脚本になっている。
掛札「最初から話し合いながら構成をつくってって好きなシーンを書く。全般を3つくらいに分けて、好きなところを書いて継ぎ足しました」
佐伯「同じ旅館に泊まってということですね」
掛札「(中島氏は)当時新人脚本家集団ができて、そこのメンバーでした。10年前に九州へ行かれちゃって。
書く前に吉原見に行ってそれを美術スタッフに伝えて。トルコの中に離れがあって、ピアノ弾いてる女の子なんているわけない(一同笑)。
お岩と伊右衛門みたいな関係で考えたけど、ふたりだけではいまの話では足りないから(周辺人物が)いろいろ増えてった」
佐伯「女の子を身障者にした意味はあまりないですね。脚本では足を引きずってるというだけで(映像のように)器具をつけてない」
掛札「足を引きずってるのは映像的に興味があります。
脚本つくってるとき、妹はいなかったんだけど、後半が盛り上がってこない。人物が足りないかなということで妹を出して構成したらうまく流れました」
佐伯「クライマックスの火は怪談のある種…」
掛札「最後は燃える(笑)」(つづく)