【『新世界ルルー』と『鉄腕アトム』(2)】
辻「その後に児童局、児童番組やってるほうが文句言い始めて(自分たちと)両方がパイロットフィルム出して、局長に判断してもらおうと。どっちが決まるか、その前に手塚先生に声かけちゃって。忙しい先生に(まだ決まってないと)言えないよね。でもパイロットフィルム、ぼくのほうが勝ちました。先生は、テレビでやってくれるなら「少年クラブ」に声かけるからと(同題のマンガ版を連載)。もし通らなかったら…(笑)」
NHKの屋上にはめ込まれたタイルが縦線と横線なので四次元世界に見立ててスロー撮影で撮った、時間がとまるシーンでは役者がじっと止まったなどの裏話が語られた。
辻「手塚先生と打ち合わせして、今度は何を止めましょうかと。それで海を止めましょうと言われて、困って。“辻さん、時間を止めて海に出るなんてどうでしょう”と。ぼくは困って、海をカットして、NHKの横にトンネルが開いたことにして(主演の)太田博之くんに真っ昼間に水着で飛び出してもらって。だんだん止めるものがなくなりました。ビデオができるなんて夢にも思わなかったですね、生放送で」
るみ子「『新世界ルルー』は、物語もスリリングですけど、キャラクター性や世界のデザイン性に魅かれました。1950年代の作品は、ストーリーよりもそちらに目が行って」
辻「あの車が飛ぶところとか、ドアを開けると何もないとか(ドラマで)やりたかったんだけど」
るみ子「デザイン関係の人が見ると魅かれるみたいですね」
辻「このころの手塚先生はコマごとの情報量が多くて、お話も煮詰まってる。1本で5、6冊できるよなって。読み応えがありますね。なつかしいな…」
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その後、手塚治虫はアニメーション制作会社・虫プロダクションを設立し、『鉄腕アトム』(1963)を制作。
辻「ありがたいことに(『鉄腕アトム』の)試写会を日比谷公会堂で、と電報で知らせていただいて、飛んでいきました。二十何分で、よくこれだけの話を…。全部入っちゃってすごい。一方、枚数はどうなんだ。ほとんどないんじゃないか。繰り返しをやって、ああ金がかからないように、時間がかからないようにやってるなとと。でもぼくはもっと動かないかなと。大島渚さんが『忍者武芸帳』(1962)を撮って、(静止画の)マンガをカメラワークで見せる。そういうのかと思ったら、動いてる。あと、話をぎっしり詰めて、これで大丈夫かなと先のこと心配してました。10年つづいた原作がすぐなくなる。だから『サザエさん』のときは助かりました。7分で原作の1か月分がなくなって。『サザエさん』は最初からオリジナル脚本がありました。
『アトム』の脚本は、豊田(豊田有恒)さんとぼくに声かかって。手塚先生がおっしゃってたのは、虫プロはうまいし熱心だけど、センス・オブ・ワンダーがない。当時は「SFマガジン」も内幸町になくて、御徒町までさがしに行ったり。子どものころからSF読んでる人がいない。だからSFの感覚を教えてやってくださいと。
題名が思い出せないとき、すごい勢いで飛んできて、「経済学のSF」と言われて。『××』って言ったら、すごい勢いでまた…。いまだったら携帯の検索もすり切れてたでしょうね(一同笑)。
りん(りんたろう)ちゃんが演出の「夢見る機械の巻」。ロボットだって夢を見るというのはどうですかって言ったら、面白いですねと。持って行ったら、もうちょっと奇想天外に、と。3回目でも同じで、先生が45分くらいでコンテ切っちゃって。アトムが夢の中でターザンになって、つかまってるウランを助ける。アーアーの声がサイレンになって消防士が来る。それが私の考えた奇想天外。すると申しわけないけどそれは使えない、アトムは人間になりたいと。そこでぼくはアトムを人間にして西部劇にしたら、一発で通りました。
手塚先生(のSFマインド)は突出していたと思います。戦後になると情報がなくて、もしあれば凡百のマンガ家は(海外のコミックを)取り入れていたかもしれませんが、手塚先生は取り入れたくなかったのでは。けちってちびちび描けばいいのに、ダーっと描くのはやりたいことがいっぱいあって、ふるえがくるくらい描きたかったのだと思います」
スタンリー・キューブリック監督は、当時の手塚に『2001年宇宙の旅』(1968)の美術デザインを依頼した。
辻「手塚先生に目をつけるキューブリックもすごいですけど、尖ってる人が見つけるくらい尖ってるマンガだったと思うんですね」(つづく)