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山田太一 トークショー レポート・『阿賀に生きる』(1)

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 新潟・阿賀野川周辺に生きる人びと。年齢を重ねた彼らは、新潟水俣病の被害者家族でもあった。

 佐藤真監督らスタッフが川筋の住民たちに3年間密着して撮ったドキュメンタリー映画阿賀に生きる』(1992)は、「キネマ旬報」日本映画ベストテン3位など高い評価を受けた。今年、『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社)が刊行され、各地で『阿賀』をはじめとする佐藤真作品のリバイバル上映も行われている。10月に横浜にて『阿賀』の上映と脚本家・山田太一先生のトークショーがあった。山田先生は本作を自宅でごらんになったそうで、びっしりと書かれたメモを持参。『阿賀』の方法論にはいささか懐疑的で、かなり切れたトークとなった。聞き手は里山社の清田麻衣子氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

(メモを)いっぱい書きすぎて、どこに何を書いたか。それだけ迫力があって面白くて…。3年間ずっとそばにいて撮るってすごいですよね。目標があって公害が誰かを痛めつけてるとかそういう方法でなく、日常の生活のほうが比重は大きいですから、そういうのを含めて新潟水俣病を描こうと思ったんでしょうね。

 (前半で)風のことをずっと言う人がいるでしょう。あれは喚起力が強い。こんなに細かく風の話をする。それだけでかき立てられるものがある。

 人生を投げ打って水俣病だと言っても相手にしてもらえなくて。(舟大工の)遠藤さん?  あの人が舟をもう一度つくるじゃないですか。鉤釣りの鮭の話をする長谷川さんも素敵でした。ずっといっしょにいないと描けない。3年間いたことの成果ですね。

 あの人たちの人生を描くことに文句をつけるつもりはありませんけど、ドキュメンタリーはどう工夫してもあがいたりしても、撮ってる人が来ないとできない。佐藤さんは自分たちが加わることで撮ってる。でも、いっつも介入するわけにもいかない。だから撮ろうとすると自分を抑えちゃって、相手を立てようとする。撮られる側を主役に撮ってる。するとちょっと半端に加わってることに変わりない。夫婦のように(そばに)いたって、他者は実相を見せない。奥さんだって亭主に実相を見せませんよ。3年いたから撮れた部分はありました。酔っぱらって鮭の話をするとかとてもいいと思うし、舟をつくるプロセスも感動的でよかった。鉤釣りをし損じるけど、うまくいく。ああいうのも開放感がある。でも3年かけてこれかって気もする(一同笑)。佐藤さんの力がないんじゃなくて、他者ってそういうもの。夫婦だから隠すし、親だから隠す。3年いても実相がとらえられるっていうのは違う気がする。

 フィクション書いてる人間は、他者がそんなに明かすわけないから、それを他の形で掘り起こしちゃう。そのまま(実名)だったらこういう奴って言えないけど、フィクションならこいつはスケベって書いても平気(笑)。フィクションは他者の暗闇、それだけでなく輝きも描いて成熟していったと思うんですよ。

 佐藤さんは公害反対みたいなことにいらだって、官能的になりたいって書いていらっしゃいますね。だけどドキュメンタリーだけじゃ無理だろう。ドキュメンタリーがずっといれば撮れるっていうのは大切だと思いますけど、ずっとやってるとお手上げになっちゃう。他人や現実は待ってりゃ撮れるってものではない。ぼくも意地が悪いかも判らないけど、そういうものだと思いましたですね。佐藤さんは亡くなってしまわれたから、ぼくが一方的に言ってるだけでちょっと気がとがめるけど。この方法だけで成熟していくかっていうとちょっと疑問です。

 オープンハンドに日常を撮るのも大事ですけど、限度がありますよ。日常なんて面白くないし。どっかでぼくは、ドキュメンタリーってのは撮る側が方法を決めて成熟した大人になって撮れば、別のものが撮れるのかが判らない。日常、非日常を撮るってだけではなくて、撮ってる側が謙虚になっちゃう。その人の酔っぱらってるところを撮ると一種の醜態で面白いけど、それは人間の真実を見たってなりますか?  飲み屋に遅くまでいれば、いろんな人がいますよ。面白いけど、だから何って気が正直する。傑作だと思うけど、これを進展させて深めていっても別の真実が開けるわけじゃないって気がするのね。いろんな演出家、カメラマンがこういう撮り方をすると飽きちゃう気がする。

 舟をつくる遠藤さん、何か言えって言われても、思い入れないって(何も)言わない。ああいうところ、とってもいいよね。普通の人の控えめさ、ほんとは一席やりたいけどがまんしちゃう。しつこく言うけど、でも役者でやったってできちゃう。そのへんがつらいとこだね。

 長谷川さん、あした死んでもいいって言う。ああいう、おれはすぐ死にたいって言ってるわけではなくて、でも老いて、奥さんとわりあい孤独な人生を歩いてる。私もそうですが。いつ死ぬか判らないといらいらする。でもあした死ぬって言われたらしょうがないかと。ああいうことを言わせてしまうのも、とてもいいよね。(つづく)

 

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