【映画の力 (2)】
小栗「映画だと、語っている人の人間性が出ますよね。
ただ、野中さんはいいと言われますが、『FOUJITA』(2015)も荒井さんのもお客さん来てなくて、大したことないですよ(一同笑)。コストかけて誰も来ない映画とホームビデオと、どちらが強いか(一同笑)。
ジャーナリズム、ドキュメンタリー、劇映画で描くことは表現のスタイルが違う。やすやすと越境しては、お互いが貧しくなる。それぞれの場でそれぞれのつくり方がある。ユーロスペースでマイノリティ映画祭があって、日大の学生が企画して、『泥の河』(1981)が上映されて呼ばれて。差別と原発をくくってマイノリティ、そのネーミングはいかがなものか(一同笑)。少数だからマイノリティなら、それぞれの仕事の場でみんなマイノリティですよ。それぞれの場で仕事を深めるのが大事かな」
野中「映画はロジカルよりエモーショナル、イメージとして残って。その断片が自分の人生を決めたり。
ぼくは何者かと言われたら、ジャーナリスト。映像もつくるし文章も書くけど、立脚点はジャーナリスト。それぞれの場で自分の人生観を表していく。表現に優劣はないですね。堀切さんは自分で撮り方を学んで。20世紀の終わりから21世紀にかけてカメラが小型化されて、たくさん表現者が出てきた。90年代まではプロの仕事でしたけど。ぼくはVHSを初めては使って、それから8mm、デジタル。映像のクオリティがすごくよくなりました。飯舘村を撮ったのも民生用カメラ。映像の歴史では画期的なことですね。山形ドキュメンタリー映画祭の作品では、韓国などが民生機で撮っています。フィルムで撮ったのと違う領域ですね」
小中「堀切さんはすべてひとりで撮られていて、相手の方もナチュラルに答えられる。これはプロにはできないかな」
荒井「映画の力っていうけど、映画をいちばん利用したのはファシズムとコミュニズムじゃないか」
【戦争と映画】
荒井「戦争場面を何故描かないかというと、主人公側で見るようにつくられるので、戦争を撮ると所詮アクション映画にしかならない。ぼくはアクションを撮れなくて、うちの中なら撮れるかな。
(『この国の空』〈2015〉について)ネットで、不倫してる奴が(戦時中に)いるわけないと書かれて、こういう若い人のステレオタイプな反応は映画のせいかな。広島出身の助監督が“荒井さん、こんなごはん食べてる映画撮っていいんですか”と。広島の戦後教育のせいかな(一同笑)。
死者は310万人だから、1億玉砕といっても、当時は1億もいなかったけど7000万人が生き残って戦後をつくった。その人たちを描かないと。戦争中でもごはんを食べる。おいしそうに食べてるのはぼくのミス。役者が食べやすいように、係のスタッフがおいしくつくっちゃった(笑)。
撮ってるぼくも、戦争が終わって中国から親父が生きて帰って、生まれた。(今後は)そういう映画はできなくなる」
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荒井「小栗さんの『泥の河』はあの年のベストテン1位で(自作の)『遠雷』(1981)は2位。その恨みが…(一同笑)。あのころは年寄りの評論家が多くて、年寄りなら(『遠雷』のような)百姓の話は受けるかなと思ったら、敵はモノクロ。評論家が若くなってくれないかなと思ったら、いまは若くなって戦争が判らない」
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小栗「ぼくもアクション撮れない(笑)。何とかがんばろうと思っても、棄てちゃう。戦争を描けばアクションになる。反戦であっても、好戦であっても。
何故アクションが人を惹きつけるのか。近代のもたらした問題で、近代が映画をつくり、国民国家を形成して、2度の大戦を起こした。ぼくは1945年生まれで、戦争体験がない。年月が経てば体験として伝えるのは不可能で、戦争の記憶を持ちつづけるのはどうするかが表現の要諦。言語的に伝えるか、映像で伝えるか、いろいろなやり方がありますが、直接的に触れているかで判断すると土俵が狭くなる。戦争に触れないで、反・安倍晋三を表現することもあり得るわけで」
荒井「小さい商業ベースで自主映画に近い『戦争と一人の女』(2013)を書いたときは、日本の戦争映画は被害ばかり言ってておかしいと。加害が先なので。日本のお父さんが中国で何をやったか。それでお客さんが来ない。中国や韓国では受けて、こういうのできるんですかと言われる。いや表現の自由があってと言うんだけど。やはり加害は描けないですね。『この国の空』では予算もない、裸もできない。諸事情があって。
隙あらば加害責任をやろうとしていて、『共喰い』(2013)でも田中裕子に言わせて。文化庁の××に出したら、諮問委員はいいけど官僚は裸とセックスがあるのはダメだと。それは表向きで、『靖国』(2008)みたいにならないようにかな。
孫のため、子どものためって国会前へ行く人もいるけど、ぼくは(戦場に)行かないからいいか(笑)」
小栗「商業ベースって何かな。シネコンを中心としたマーケットに乗せていくという意味では、ぼくはそういうところでは仕事してない。資金は必要で、うまくいかなければ謝ると。でもいまのシネコンの商業ベースで何かできるとは思ってません。
『伽耶子のために』(1984)は随分前のことですけど、在日で北を支持している人で、日本でお金を稼いで北にいる家族に届けたいと。その人が好きなのが007(笑)。そういう分裂があって、分裂している自覚もない。安倍政権を支持してる人が、普段何を見てるのかが問題で」(つづく)

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