私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

宮崎駿 トークショー “トトロのふるさと基金 25年の歩みとこれから” レポート(1)

f:id:namerukarada:20180706121759j:plain

 宮崎駿監督の名作アニメーション映画『となりのトトロ』(1988)の公開から2年後、『トトロ』の舞台となった狭山丘陵周辺を開発から守るために、ナショナルトラストの運動体 “トトロのふるさと基金” が発足した。1991年に “トトロの森1号地” が取得され、現在は31号地まで確保したのだという。宮崎監督も基金の顧問を務めている。

 11月にふるさと基金の25周年記念行事 “トトロのふるさと基金 25年の歩みとこれから” が、埼玉県所沢市にて行われた。まず『トトロ』の上映と地元の高校生の演奏、挿入歌の合唱があった。そして荻野豊・基金専務理事による25年間の基金の歩みの報告、宮崎駿監督と理事長の安藤聡彦・埼玉大学教授のトークという流れ。筆者の能力の限界により、宮崎監督の発言に絞ってレポしたい(以下はメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

宮崎「荻野さんが(スタジオに)見えたのは覚えています。『トトロ』は劇場にお客さんが全然入らなくて、テレビで人気が上がってきたんですね。そのころトトロを商品にくっつけたいっていう申し込みがいろいろあって、スタジオがその収入に依存するとまずいことになると、鈴木(鈴木敏夫)プロデューサーと相談していました。特に鈴木プロデューサーが懸念していましたね。だから基金にあげましょうと。その代わり、下手な扱いはしないでほしい。ぼくらにとっては気持ちのいいことで、仕事ばかりやっていて意義のある活動に参加してこなかった人間なので、罪滅ぼしもあって。

 (映画の制作中に)狭山丘陵のことは頭になかったんです。ぼくは所沢と秋津の間に住んでいまして、途中抜けたけど、また戻って四十数年。(当時は)昔の面影が残っていて、雑木林や古い農家とか。でも川だけはきたなかった。いまの川は戦前より綺麗になったらしいです。見た目だけで、成分は判りませんが。秋津に家を建てたのが『トトロ』の始まりです。散歩が『トトロ』のロケハンになっていて、秋津を知ってる人が映画を見るとどこか判る。(位置は)正確じゃないですが。

 きょう、お嬢さんたちが唄っているのを聴いたとき、何て幸せな映画だろうと感動いたしました」

 

 トトロのふるさと基金への協力の要請に来た萩野氏に、宮崎監督は「自信を持って、地道にやりなさい」と助言したという。基金の初期の経緯は1992年に工藤直子『あ、トトロの森だ』(徳間書店)にまとめられた。

宮崎「本には仕掛人がいて、鈴木プロデューサーが本にしとくと役に立つだろうと。運動をやるとき、テレビに出ている人を連れてくればできるだろうっていうのは安直でね。そういうのはダメですね。

 (基金のことは)ぼくは何も知らないです。スタジオで仕事やっていましたから。基金の人が見えたとき、よくやるなとしか思わなかった。

 みんな自分が正しいことをやってると思っている。土地は値上がりしていろいろ大変な中で摩擦が発生すると、厄介なのはみんな自分が正しいと思っていること。それで停滞したこともあったらしいけど、そこでまた別の方、考古学者の方が来て。事務局の女性数人を解雇して、法廷に持ち込まれて何かよく判らない。いや、判るけど(笑)。

 2007年に(理事長の)安藤さんが現れたのが、大きかった。理事会で延々と(基金の)憲法、取り決めを決めて。私はアッシーくんで、理事会に参加した家内を車で運んで、まだやってるのってくらいやってましたね。取り決めを決めた安藤さんも逃げ損ねて、萩野さんもいろいろつらいことがあったらしいけど、よくやってきたな。次の安藤さん、次の荻野さんが出てきてほしい。安藤さんが50年やったみたいなことにならないように。ぼくは荻野さんより年上ですから、荻野さんが生きて、ぼくは死ぬ(一同笑)」(つづく)