【撮影現場でのふたり (2)】
松田「私は初めてザ・ピーナッツさんを知って唄ったんですけど、見直すと「恋のバカンス」が頭に流れますね。私は1987年生まれで、母もあまり知らないくらいでした」
小沼「やっぱり歌は大事だからいろいろ考えてた。ぼくは弘田三枝子ファンでもあるし、考えてるうちに(「恋のバカンス」が)残った。
海の家の裏で踊ってくれって言ったら、子どもたちは振りを覚えるのが速いしうまくて、嬉しくなって。ああいうのはできる子とそうでない子と差が出るよね」
松田「振りの先生もいたけど、私とのりちゃん(吉木誉絵)でいっしょに考えた感じですね」
小沼「振付師ではないけどパーマをかける役の人に見てもらった記憶があるな」
夜の砂浜のパーティーでは若い男女といっしょに主人公も踊る。
松田「不良のシーンは、私の考える不良とギャップがありました。私には不良と言えばちょっと上の世代のコギャルやルーズソックス。ああいうツイストとか初めて見て(笑)」
主人公は店先でレコードプレイヤーを見つけてほしくなる。
松田「レコードプレイヤーを最後に手に入れるけど、私はプレイヤーに触れるのが初めてで、ガンと置いたら、監督に「そんなふうに扱うんじゃないよ!」って言われて(一同笑)」
小沼「失礼なことを(一同笑)」
初めてのパーマにも挑戦。
松田「(髪型を変えた後のシーンでは)ポケットに手を入れようって監督に言われたけど、小学生でもメークで気持ちが変わる。なぎさちゃんが、いつもボールでやっつける男の子に目もくれない。私自身にもそれがありました」
【演技指導について】
松田「すべてが初めてで、がむしゃらに監督についていった感じです。小学6年の夏にすごい経験をさせてもらって、ドキュメンタリーみたいな思いもありますね」
小沼「この人プロじゃなかったんですよ。アマチュアというか、素人として面接に来てたわけですよ。新宿御苑からちょっと歩いたところの事務所で。
松田まどかって女優さんはちょっと誉めると鼻が高くなる子だと思ったね。何のとき思ったのか忘れたけど」
松田「私が愛と感じたのはそこだったのかな。誉めていただいた」
小沼「鼻高くしてるところは見たくないから、下手な言葉は与えない。でも本人がいろいろ考えて来てるのに、鼻高くするなとは言えない。それがおれの偉いところ(一同笑)」
松田「私の性格をよく判ってくださって。最後に涙を流すシーンで「気持ちができるまで待つよ」と助監督の方が言ってくれて、でも監督が「これ、何待ちだ? やるぞ行くぞ」って始まって。私が負けず嫌いなの知ってるから。「現場を何待たせてんだ」って言われて、くそっと思ってぽろぽろ泣いた。きょう、それを思いましたね」
小沼「鼻っ柱の強い姉ちゃん、というか子どもだなと。それをぺしゃんこにしたい気持ちはあったな。「そんなものでおれがOK出すと思ってんのか、この野郎!」 いや、そんな言葉は使わない」
松田「近い言葉でしたよ(一同笑)」
小沼「やっぱりこの人を見て、ちょっとぺしゃんこにしたら自在に動かせると思ったかもしれない。でも初めて映画に映るって人が泣き出したら、泣き止ませるのは難しい。少しよいしょしとこうとか、計算はあったかな」
松田「自分をよく見せようみたいな意識もなかったです。きょう見て、何て間ぬけな顔だろうって(笑)。口が半開きの顔とか、れいこちゃん見てる顔とか自分で笑っちゃって。着替えシーンにもエロさがない。少年なのか少女なのかっていう(笑)。
小沼監督との戦いじゃないけど1対1でつくっていった。小学6年の夏って、短いけどすごく貴重だったんだなって。あの夏休みにしか撮れなかったものがぎゅっと詰まっていて。カメラの前でひとつひとつ経験していきました。
(ラストの)ラムネ吹いて泳ぐシーンは下田で最後に撮っていて、それで(全撮影が)終了。多分、最初と表情が違うんじゃないかなって、きょう思いました。
公開は1年後で背も1年で6センチも伸びていて。周りの子と並んでも私だけ大きい。監督は「いまのまどかなら選ばなかった」って(笑)」
小沼「全くそう思いましたね。あんな大きいなぎさ、見たくなかった(一同笑)。小さい子が生意気だから、絵になるというか」
【最後に】
小沼「(そろそろ終わりと言われて)え、これから喋ろうと思っていたのに!(一同笑) もっと打ち合わせしとけばよかったね。ぼくの代わりにシュッと喋って」
松田「監督の過去の作品、ごらんになったことありますかって記者の方に意地悪なこと言われて「大人になったら見ます」って答えました。あした、『生贄夫人』(1974)を見ようと思います(拍手)」
中川梨絵、白鳥あかね氏も来られていて松田氏と小沼監督にプレゼントを渡していた。