私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

金子修介監督 インタビュー(1999)・『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(3)

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――ただ、それがリアルに描かれるので、無力な人間対ムチャクチャ抗い難い運命みたいなものが出てきて(「今回は大河ドラマの完結編みたいな意味合いがありましたね。人間が戦争や時代の流れに押し流されていくような。この映画の場合は怪獣という、あり得ないものによって押し流されていく運命」〈金子〉)、人間のドキュメントに近いものを感じましたね。ドキュメンタリーだと出てくるものに感情移入できないですから。なるようになるわけですからね。

 

 金子 でも、やっぱり最終的にはガメラに感情移入していく作りなんだけど。そういうふうには見えない? 

 

――最後ですね。最後、火炎のなか戦いに行くところがグッとくるんだけど。でも、彼、負けるよな。

 

金子 勝つんですよ(笑)。

 

――本編班と特撮班の間に確執がある、というメーキング・ビデオ(庵野秀明監督『GAMERA1999』)も見てしまったんですが…。

 

金子 あの、やっぱりどんな映画でもいろんな人がいるわけですよ。集団でやるわけだから。スタッフ間の気持ちの問題とか、俳優と監督の気持ちの問題とか。全員がクローンじゃないわけだし、それぞれの。

 

――感じ方、考え方が。

 

金子 それをひとつにまとめていくのが監督の仕事なわけですよ。それは特撮映画でも普通の映画でも同じことなんですよ。スタッフ間の確執っていうのは、どこでも、ないことはないと思うけど、映画が出来上がったときは一本の映画に吸収されている、というね。消えてなくなってしまうものなんです。だから、そこに第三者の目が介在して再構成されて、ワイドショー的な観点で見て確執だとかさ。それはフィクションだと思うね。

 

――でも、アレを見ると、作品も見たくなる。成功していてほしいって、祈るような気持ちになりますよ。

 

金子 だとしたら、成功なのかな。あのメーキングも。メーキング班もああいう形になるとは思ってなかっただろうし、スタッフにも(僕は)何もないけどね。

 

――この後、話があれば『4』も?

 

金子 まあ、あればね(笑)。あればそのとき考えるっていう。

 

――自分のなかでとりあえず『3』が決着だ、というのはないんですか。要請があれば『4』でも。

 

金子 あんまり、そういうことを考えちゃいけないんじゃないか、と僕は思うんですよ。要するに客が入らなくなったらやめる、と。あまり自分から『3』でやめるっていうふうには言わないけれど『4』をやるとしたら大変だなって。えらいこっちゃって。でもそうなったら、そのとき考えるしかないな、というふうに思いますよ。三部作と銘打っているし、かなりの部分、完結してる。登場人物の推理っていう形でガメラとは何か、ということも語らせてるし。次でまたガメラとは何か、と同じようには作れない。

 

――三部作を手掛けてきて、何か変わったことってありますか。

 

金子 そうね、もう、怪獣ファンじゃなくなったってことかな。

 

――あんなロマンティックなこと(台詞や配役などでの往年の特撮映画へのオマージュ)をやってた監督が言うとは、身も蓋もない発言ですね。

 

金子 やっぱり仕事でやってるから(笑)。いかにファンを、楽しませるか。楽しませるかという根底にファン心理を理解して、自分もかつてファンだったっていう、ファンであり続けたいっていう思いは残っていても、無邪気にはね。

 

――今回も最後でガメラが一声吼えますよね。すごくいいファン・サービスでした。

 

金子 そう、やっぱりガメラは吼えないと。

 

――いや、『1』のときは、水面だけになって、ガメラが映っていないところで吼えて終わって。

 

金子 ああ、そうか。『1』も『2』も姿見えないところですからね。終わりのマーク出ながら、声だけで。今回はきちんと見えてる、吼えてるところが。

 

――そういうのって、ちょっと照れませんでした?

 

金子 僕は照れない、そういう照れる性格じゃないんで。

 

 以上、週刊SPA!1999年3月17日号より引用。

 『ガメラ3』の製作の裏でいろいろと混乱があったらしいことが見て取れる。金子監督は、ガメラシリーズの南里幸(現・甘木モリオ)プロデューサーについて、『ガメラ3』以前に刊行された著書の『ガメラ監督日記』(小学館)では好意的に書いていたのだが、『3』の制作中に対立したらしく『特撮黙示録』(太田出版)に収載のインタビューでは非難していた。

 金子監督の作品には青春ファンタジーの要素も強く、この『ガメラ3』では終末観あふれる怪獣物と主人公の女子中学生(前田愛)をめぐる青春ドラマとの融合が試みられている。結果的に『ガメラ3』は破綻していておかしな部分も多いけれども、歪みも含めて魅力的な作品となった。いまでも見直すと、あのザラザラした1999年の空気が思い出される。