【『モスラ対ゴジラ』などの想い出】
星由里子さんは『世界大戦争』(1961)にて宝田明さんと初共演。世界中で核戦争が巻き起こるSF映画で、円谷英二が特技監督を務めた。監督は『太平洋の嵐』(1960)などの戦記映画で知られる松林宗恵。
星「私は “ミスシンデレラ娘” というコンテストで(この世界に)入ってきて、司葉子さん主演の『すずかけの散歩道』(1959)でデビューしました。
『世界大戦争』はゴジラの前でしたよね。地球が破滅するお話でした。宝田さんと恋人役で、横浜のホテルで初めて結ばれる。フランキー堺さんと乙羽信子さんが両親で、私たちのことを「あいつら!」とか言ってて、結ばれてみな破滅していく。
宝田さんは当時からもててましたね。私はまだ18歳、私にもそんなときがあったんですよ(笑)」
宝田「モールス信号で愛を言い合う。あれが悲しい」
星「試写では、スタッフはみんな自分の(関わった)ところしか見ていない。だから普通は反応がないんですけど、でもみんなあのシーンには泣かされたって。宝田さんのおかげですね」
宝田「あれは松林さんの代表的な仕事ですね。この後、星さんと『旅愁の都』(1962)で共演したんだったかな」
星さんは、『モスラ対ゴジラ』(1964)では新聞記者役。モスラと交信できる妖精役は双子のザ・ピーナッツが演じた。身長30cmという設定で、それゆえ星さんとの共演シーンは合成。
星「『モスラ対ゴジラ』では当時人気絶頂だったザ・ピーナッツさんが出られていて、スタジオでのピーナッツさんの撮影はよく見に行きました。きのうもBSでピーナッツさんの映像を見て、なつかしいなと思っていて。
撮影のときはお人形さんを見ながら芝居していました。結髪室ではピーナッツさんと席を並べてまして、そちらでお目にかかっていましたけど」
宝田「だいたい目線はこのくらいって言うけど、なんとなく合わない。だから人形をつくってくれと、本多猪四郎さんに頼んでつくってもらいました」
星さんは『ゴジラ × メガギラス G消滅作戦』(2000)では科学者役を演じた。
星「35、6年経ってから、田中美里ちゃん主演のに出ました。あれも題名が覚えられないんですけど(一同笑)。科学者役で出世しましたよ。台詞が難しくて、自分でも何だかよく判らない(一同笑)。志村喬さんの映画を見て勉強しました。田中美里ちゃんがゴジラにまたがるシーンではびっくりしましたね」
【役者のエピソード】
『怪獣大戦争』(1965)では、宝田さんは『理由なき反抗』(1955)などで知られるニック・アダムスと共演。ふたりとも宇宙飛行士役だった。
宝田「ニック・アダムスは日本へひとりで来て、遊びたくて仕方がない。「紹介しろ」って言われて、そこから先は失礼だから何も言えない(一同笑)。
当時ミュージカルをやるんでボーカルスコアがほしいってニックに言ったら、帰国してすぐ送ってくれました。そういう律儀な男でしたね。若くして亡くなってしまいましたけど。
黙ってむっつりした女優さんもいるけど、星さんはいつもケラケラ笑ってましたね」
星「たかちゃんは背が高くて、転ばないようにって優しくしてくれて。東宝の演技課が、宝田さんには気をつけるようにって。いつも「足下に注意して」とか言うからそういうのに乗るなと。特に何もなかったんですけど(笑)」
宝田「東宝が、お前は女優さんにちょっかい出しちゃいかんと。だからこっちは自粛してたら(同じ東宝の)高島忠夫は寿美花代と! あれは何だ(一同笑)。青山京子は日活の小林旭に持っていかれて(一同笑)」
星「(話題を変えようと)宝田さんは何本ゴジラに出たんですか?」
宝田「白川由美も二谷英明と! 東宝はからっぽですよ(一同笑)」
【その他の発言】
宝田「初代『ゴジラ』以来いろいろ出たけど、他の怪獣にはあまり興味ないですね(一同笑)」
星「『モスラ対ゴジラ』で(モスラの)双子が生まれたでしょ。あれは(双子の)ピーナッツさんにかけた洒落なのかしら」
宝田「(思い出したように)ああ、物陰にぴゅっと隠れる。あれかわいいよね!(一同笑)」
星「(『三大怪獣地球最大の決戦』のスチールを見て)あ、私これにも出てるんですか?」
宝田「(『怪獣大戦争』のキングギドラを見て)この首3つあるやつは何だっけ? あ、ニック・アダムスと出たのか…。もっと若いときに話せばよかったね。われわれ老化してるから覚えてない(一同笑)」
宝田「アメリカもすごい人気なんですよ。今年の5月にニューヨーク、ロサンゼルス、ケネディが死んだダラスに行ったんですが、サイン会が長蛇の列で、腱鞘炎になるくらいゴジラに関するあらゆるものにサインしました(笑)。子どものころに初代『ゴジラ』を見たという70歳前後の人がお孫さんをつれてきたりね。
ロサンゼルスのチャイニーズシアターにスターの手形があるんだけど、ゲイリー・クーパーやマリリン・モンローといっしょにゴジラの足跡があるんだよね。自分も10万ぐらい払えば、入れてもらえないかな(一同笑)」
星「音楽の伊福部昭先生が亡くなる前に紀伊國屋で演奏会があって、私は花束を持って伺いまして、素晴らしくて聴いていて涙が出ましたね。
そう言えば宝田さんも出ていらした『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(1962)。音楽が伊福部先生でしたけど、討ち入りがゴジラの音楽でした(笑)」
宝田「ゴジラは壊しながら、彷徨しながら、ペーソスがある。彼自身も被爆したという過去があるから哀しみがあって、単なるこわもて、極悪非道な猛獣ではない。プロデューサーの田中友幸も聖獣と言ってましたね。人間を懲らしめるために神が使わしたと思えてならないですね」
終了後はサイン会。宝田さんには『伊丹十三の映画』(新潮社)のインタビューページにサインしていただいた(ご本人も「ああ、伊丹のね…」)。おふたりの元気さに圧倒された一日であった。