私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

ドラえもんと久世光彦・「浪曲ドラえもん」

f:id:namerukarada:20200901031508j:plain

 テレビ『寺内貫太郎一家』(1974)などの演出を手がけ、エッセイ・小説などの文筆活動でも知られた故・久世光彦。久世がテレビや舞台などの演出業と執筆とを両輪とするようになったのは1990年前後のようで、物書きをしているとやや飽き気味だったテレビの仕事にも意欲的に取り組むことができるようなったと述懐しているのだが(『久世光彦の世界 昭和の幻景』〈柏書房〉)それ以前にも久世には作詞の仕事をしていた時期があった。

 1980年ごろ、久世はテレビの演出・プロデュースを手がける一方で作詞家としても活躍。

 

私は〈小谷夏〉というペンネームで、歌謡曲の詞を書いていたことがある。もちろん売れない作詞家で、少し売れたのは天地真理の「ひとりじゃないの」くらいのものである。美川憲一に書いたのは「三面記事の女」という歌で、タイトルだけは評判がよかった」(『マイラストソング 最終章』〈文藝春秋〉)

 本人は謙遜気味に回想しているけれども、1年で50曲も書いた年もあったというから、本業の作詞家並みの生産量だと言えよう(加藤義彦『「時間ですよ」を作った男』〈双葉社〉)。その後、文筆業で忙しくなった1993年にも香西かおりに「無言坂」の歌詞を提供し、香西は第35回レコード大賞を受賞(このときは市川睦月という名義だった)。

 その久世作詞の曲で、変わり種が藤子・F・不二雄原作のアニメ『パーマン』(1983〜1985)のエンディング主題歌「パーマンはそこにいる」と『ドラえもん』(1979〜)の挿入歌「浪曲ドラえもん」。アニメソングの仕事はおそらく2曲のみであろう。

 前者はエンディングに毎週流れていたので、ある程度知られている。一方、後者は『ドラえもん』の挿入歌だが、あまり劇中に使われた試しがない気がするので、知名度もそれほどでもないような感がある。

 筆者は久世の膨大なエッセイはかなり読んでいるほうだと思うのだけれども、この2曲に触れたものは記憶にない(当方が無知なだけでどこかにあるのだろうか)。どうして久世にアニソンの仕事が入ったのかは定かではないが『パーマン』の放送が開始された1983年に久世は同じテレビ朝日で『あとは寝るだけ』を撮っており、その縁という可能性がある。また藤子原作アニメには喜多條忠のようなアニメ畑でない作詞家も登板しているので、たまたま依頼があったという程度で特段の経緯もないのかもしれない。

 パーマンはそこにいる」はウェルメイドな曲で、主人公・須羽ミツ夫が普段は冴えないが、実はスーパーヒーローなのだというよくある秘密(?)を描いている。この曲の作曲・歌はシュガー「ウエディング・ベル」の作詞・作曲などで知られる古田喜昭で、作詞も彼だと筆者は長らく勘違いしていたのだけれども、実は久世なのだった。

 印象的なのは「自由に空を飛べるけど  からすの勘三郎じゃないよ」という唄い出しで、1983年という時代を斟酌してもアニソンに「からすの勘三郎」は異色だろう。

 一方で「浪曲ドラえもん」はドラえもんの存在不安を扱った、知る人ぞ知る怪曲。「ぼくはしがないロボット」であり「そこでそこで悩むのさ  みんなと同じになりたいな」と唄われるのだが、ドラえもんが人間になりたいなどと『妖怪人間ベム』ばりの発言をしたことがあっただろうか。2番のサビは「ああ  さすらいのドラえもん」で、のび太の家に定住するドラえもんがさすらったことなんてあったか? とずれた歌詞に笑ってしまう(このサビは菊池俊輔によるメロディーも飛ばしていて、唄の大山のぶ代がこぶしをきかせると何とも言い難いものに…)。博識の久世も、同時代に人気のあった藤子アニメに関してはろくに知らずに作詞したとおぼしい。

 幼いころに聴いた筆者は、ドラえもんソングの中ではやや浮いた変な曲だなと感じるだけだったが、作詞が久世だと知るといろいろ思うところも多い。

 「笑って遊んで 日が暮れて  みんなおうちに 帰るころ  ぼくはなぜかひとりぼっち」という件りは、久世が度々言及した西条八十「お山の大将」の「あそびつかれて 散りゆけば お山の大将 月ひとつ あとから来るもの 夜ばかり」を連想させる(ドラえもんと言えば世話焼きロボットという印象だが、久世にはガキ大将のイメージだったのかもしれない)。

 また先述の「さすらいのドラえもん」という部分には、久世が思い入れがあると表明していた小林旭「さすらい」を想起してしまう。

 歌詞として完成度が高いのは「パーマンはそこにいる」であろうが、久世の個性がにじみ出ているのは「浪曲ドラえもん」ではなかろうか。西条八十北原白秋を愛した久世が、おそらくそのふたりをどこかで意識しながら専門外のアニソンにチャレンジしたさまは、ちょっと微笑ましく思える。