私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 インタビュー(1995)・『夜中に起きているのは』(2)

 それらをストップするものは何かというと、ひとつは哲学だと思います。つまりそんなにスピードを速くしなくたっていいんだという哲学、家は古くて不便でもいいんだという哲学。そういうものが身についていればストップできますよね。しかし、なかなかそんな哲学を持ちにくい社会ですよね、今の日本は。宗教もそんなに力を持っていないですし。

 もうひとつはこういう時期にいうと、ひじょうに不謹慎なことになってしまうけれども、災害や戦争が流れをストップさせるものだと思ったんですね。例えば家族の写真をアルバムにいっぱいに貼っていても災害で生死の境を経験すると、大切なのはそんなコレクションではなく、その人が生きていることだという気持ちになる。そんなふうに価値観が変わるような終末願望が日本人には、潜在的にあるのではないかと思ったのですよ。

 終末がはっきりすれば、自分の中で何が大事かひじょうにはっきりしますね。あと一か月で日本が滅びるとか、自分が死んでしまうとかすれば、変なものに執着したってしょうがないですよね。他人の輪郭もはっきりしますし、いま、何となく茫漠としている生の輪郭が、ひじょうにはっきりします。

 それで、ある晩、伊豆高原のペンションでみんなが終末論に取りつかれる話を書いていたんです。夜中に何となく不安だったり、眠れなくて起きていた人たちが、終末論に取りつかれてしまうという。伊豆高原東海大地震の心配されているところでもあるし、もしかすると終末が来るかもしれない。そうなったら自分にとって何が大切か、誰が大事かがよくわかるっていうことになってくる。いらないものもよくわかる。興奮する。ある充実した一夜があるわけですよ。

 翌朝になると何も起こってなくて、また一分一秒、早送りで生きるわけにはいかない日常生活を送らなければならない。洗わなかった食器はそのまま残っているわけです。つまり「ああそうなんだ。でもそこで生きていかなければならないんだ」とみんな現実に戻ってバラバラに別れていく。そういう話を書きかけていたんです。

 そうしたら一月一七日に神戸で地震が起きたんです。終末論を喋っていることは、全部迫力がなくなってしまったわけです。「もしかしたら終末があるかもしれない」、「もしかしたら地震があるかもしれない」という台詞が飛びかってたのですが、力がなくなってしまうし、不謹慎といえば不謹慎だし、もう途方に暮れてしまいました。二幕目の一場を書いていたんですが、頭から全部書き直したんです。つまり地震があったということを前提にして、書き直さざるを得なかったんですね。

 

 人間は幻想ぬきで生きていけるわけではない

 今の日本人にものすごい無力感があるのではないかというのが、もうひとつの方向性としてありました。自分の願望だって自分でコントロールできるわけではないし、政治に対しても、経済に対しても同様で、円高だって気を付けているつもりでも、他国から悪口を言われるわけですからね。もちろん、地震に対しても無力です。やたら無力なものにとり囲まれて、人間は存在しているわけです。可能性もありますが、何でも努力すればできるというわけでは決してない。

 少し前までは、例えば貧乏を克服するというような、ある集中して心を傾けることができるものを持っていたけれども、今はそうではない。それぞれの人がそれぞれの課題を持っているか、課題がなくてウロウロしている、そういう状態でしょう。

 今回の登場人物も全員無力なんです。自分のせいでなくて倒産したり、働きたいと思うのに内定が出なかったり、自分で主体的に生きることができないというところにいるわけです。

 この作品では “手かざし” というものをペンションのママ(八千草薫さんふんする遠山恭子)がするわけです。それがインチキだということはママ自身が知っている。そして、登場人物全員が夜中に「それはインチキだ」ということを認める。しかし、終わりには最初に「インチキだ」と言い始めた人までが、「私にインチキを言ってくれ」と言う。

 人間はいつだって幻想ぬきで生きているわけではないですからね。“インチキ” な言葉を必要としているといえば、必要としている。「最後に愛が勝つ」「正しいものは必ず報われる」など、リアリティがない場合もたくさんあるけれども、それを信じているわけでしょう。そうでなくては、やりきれないと思っているわけでしょう。それと同じで、ママの「大丈夫よ、わかるわ」という言葉はまさしく “インチキ” なんだけれども、みんながその “インチキ” な言葉を求めてしまう。それがひとつの救いになる。つまり、そういうところに、いま日本人がいる。そこのところを書きたかったですね。つづく

以上、「週刊金曜日」1995年3月17日号より引用。