東京上空いらっしゃいませ。なんて魅力的な響きだろう(あ、そんなことない?)。まだ小学生だった若き日の筆者は、新聞のテレビ欄で映画『東京上空いらっしゃいませ』(1990)のタイトルを見つけて、その語感をいたく気に入った記憶がある(思えば、これが初めて接した相米慎二作品だったわけか)。
故・相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』は、相米作品の中では、『セーラー服と機関銃』(1981)のように大ヒットしたわけではなく、『お引越し』(1993)や『あ、春』(1998)のように批評家筋の評価が高いわけでもなく、『台風クラブ』(1985)のように先鋭的なわけでもなく、いささか地味なポジショニングにいるかもしれない。けれども、この度の特集上映 “甦る相米慎二” にて見直して味わいのある佳篇だったと印象を新たにしたのであった。
主人公の新人タレント(牧瀬里穂)は、スポンサーのエロ専務(笑福亭鶴瓶)のセクハラから逃れようとしたところ、車にはねられて命を落とす。だが死後の世界でお人好しの死神(鶴瓶・二役)をだまし、地上へ舞い戻ることに成功。広告代理店で自分の担当だった男(中井貴一)の家に転がり込む。そして芸能界デビュー以来久々に同級生に再会したり、初めてのバイトをしたり、主人公は死んでいるのに生きることを実感していくのだった。
1月31日、『東京上空いらっしゃいませ』の上映後に、中井貴一トークショーが行われた。この日、スペシャルゲストが来場するかもとは告知されていたけれど、それが誰かは当日まで明かされていなかった。
中井貴一さんは、相米作品では『東京上空』と『お引越し』に出演。芝居を見てもインタビューを読んでも真面目な感じで、トークを聴きたいという気はあまりしなかったのだが(失礼)予想に反して全編ジョーク連発であった。
トークの相手役は相米監督の「最も身近な助監督」(寺田農談)だった榎戸耕史監督(メモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや、整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
榎戸「中井さんは、相米さんとお酒を飲んだりゴルフをしたり、彼の素をご存じですね」
中井「食事したり、ある意味たかられました。死ぬと人って美化されるけど、さほどの人間ではなかった(一同笑)。
電話かけてきて「飯食わせろよ」って、上から目線で来る(一同笑)。浅草の○○でって、店の指定までしてきて」
【出逢いと『東京上空』(1)】
中井「(初めて会ったときは)エンジンフィルムの安田匡裕さんと、1時間半ひとことも喋らなかった。こちらも人見知りですから、その次にゴルフへ行って、ゴルフ場で初めてちゃんと話した。感じ悪いおやじだなって(一同笑)」
榎戸「『魚影の群れ』(1983)のときも、文明堂でプロデューサーとぼくと監督がいて、佐藤浩市さんが来たんだけど、みんなで15分は黙ってた。監督が何も言わないと、こっちも口を挟めない。で、浩市さんがガバッと立ち上がって帰った。すると監督が「いいな、あいつ」って」
中井「ぼくの場合は1時間。誰も口火を切らないから、耐えられなかったですよ」
そしてゴルフ場を回ったわけだが…。
中井「ゴルフがひどい。フォームはひどい、クラブは古い、でもスコアはいい(一同笑)。ゴルフって、こんなんでいいんだと。あれで入っちゃうってのは、頭はいいんですね(一同笑)。
鶴瓶さんとぼくと安田さんと4人で飲み会を何度かやってたんですが、鶴瓶さんのところに泊まったときに、鶴瓶さんがジャンボ尾崎さんのクラブを監督に渡したんです。そしたら、そのクラブに自分の痔を入れた。鶴瓶さんは「ぼくの新しいクラブに!」って(一同笑)。そんな人がいい人のわけがない」(つづく)