1977年9月27日、横浜市に米軍ジェット機が墜落。一般人9人が死傷した。早乙女勝元『パパママバイバイ』(日本図書センター)は、その事故に材をとった絵本である。小学生のころに読んだ筆者にとって忘れられない一冊だった。
「ゴーッというぶきみな音とともに、とつぜんばかでかい火の玉が、空から降ってきました」(『パパママバイバイ』)
アメリカ海軍のファントム戦術偵察機が横浜市緑区の住宅街に突っ込んできたのだった。事故を起こした米人パイロットは手際よく脱出。罪に問われることはなかったという。
「ほんの数秒差で、町なかをさけられたはずです」 (同上)
火傷によって、ふたりの幼い兄弟が翌日に亡くなる。
「ゴレンジャーの仮面がお気に入りの裕一郎くんは三歳で、ようやく、かたことのいえるようになった康弘くんは、まだお誕生をすぎたばかりの一歳でした」 (同上)
裕一郎くんは「バイバイ…」とつぶやきながら。
康弘くんは「ポッポッポー」とうたいながら。
「死線をさまようなかで、もう痛みもうすれてきたのでしょうか。それは、いつもおとうさんといっしょのおふろで、おとうさんが口ぐせに歌ってきかせた鳩ポッポの歌でした」 (同上)
ふたりの母親である土志田和江さんも重傷を負う。彼女には子どもたちの死は知らされなかった。
「知らせればな、ひん死の重病人なんだ。がっかりして、そのまま息がとまってしまうかもしれない。いつの日か、元気になって、ひとりで歩けるようになるまでは、子どもの死をうちあけるわけにはいかない」 (同上)
和江さんの父・土志田勇さんと夫の一久さんは子どもたちもがんばっているからおまえもがんばれ、とつらい演技をつづけた。しかし過酷な闘病の末、1982年1月26日、和江さんは息をひきとる。きょうはそれから30年後である。
父の勇さんは、福祉の仕事をしたいという和江さんの遺志を継いで社会福祉法人「和江福祉会」を設立。理事長、会長として活躍した。彼が発表した手記『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』(七つ森書館)を読んで、この一節が胸から消えない。
「私は最愛の娘和江を事故で失い、この上ない不幸に遭遇しました。和江のことがなければ、生花店の経営者としてそれなりに満足な人生を送ったことと思いますが、これほど、人の温もりに接することはなかったのではないだろうか。(…)私の人生はある意味で幸せだったと言えるのかもしれません」 (『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』)
土志田勇さんは今年1月3日に逝去された。合掌…。

- 作者: 早乙女勝元,門倉〓,鈴木たくま
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 2001/02
- メディア: 大型本
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