私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(5)

 ドラマというのは有機体のようなものだと、私は思っています。無意識の部分や理屈にあわない部分が排除されたドラマはつまらない。すべてが論理的で、全体が明晰に見渡せるドラマは、とてもうさんくさいのではないかと…。

 『荘子』という本におもしろい話が載っています。人間の身体には七つの穴があいていて、その穴によっていろいろなものを見たり、吸ったり、味わったり、いろいろな思いをしながら幸福を得ているというのですね。ところが、渾沌という名前の帝王には、その穴がひとつもなかった。それでは気の毒だと、日ごろ渾沌にお世話になっている帝王たちが、恩返しのつもりで渾沌の身体に穴をあけてあげることにしたという、とんでもない話なんです。そうして一日にひとつずつ穴をあけていって、七つめをあけたとたんに渾沌は死んでしまったのです。あるはずの穴がないのは、マイナスと言ってもいいでしょう。しかし、そのマイナスを正したとたんに、渾沌は死んでしまった。これとおなじで、個の欠点を直すことで、ドラマ全体が死んでしまうこともあるのです。 

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山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(4)

 テレビ番組なども、あたりさわりのないものがよいとされています。何年か前に、「このごろバカが多くて疲れますね」と桃井かおりさんがつぶやくコマーシャルがはやりましたが、すぐ放送禁止になってしまいました。バカというのは、病気の方や障害者の方を言っているわけではありません。むしろ、ふつうの人のことをバカだと言っているわけで、差別問題ではないのです。現実に、「バカが多くて疲れる」というセリフはみんな言いますし、口にしなくても、そう思っている人は多いですよね。自分以外はバカだと思っているのがふつうの人間ですから(笑)。でも、やっかいなことに巻き込まれるのはいやだから、だれかにちょっと文句を言われると、パッと取り下げてしまう。

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山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(3)

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 変わらない「物語」と、変わりつづける「現実」

 いかに絵空ごとのドラマであっても、物語と現実とは互いに連動し、関わりあっていなければ、みんなを楽しませることはできません。

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山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(2)

 質よりも量に価値を求めるテレビ業界

 人間の権利、人権は平等ですが、人間の存在は平等ではありません。存在までもが平等なら、男性はみんなキムタクとおなじ顔をしていなきゃ不平等ですし、女性は沢口靖子さんみたいな顔をしていなきゃならない(笑)。けれども、じっさいにはそうはゆかない。

 ほんらいは、「人間の存在は不平等だから、人権だけは平等にしよう」という考え方だったのに、平等であることの意味がだんだんわからなくなって、「人間はもともと平等だ」と考えるようになってしまった。だから、自分が不当に扱われたときにはまるで、自然の掟に逆らって、あってはならないことが起こったかのように受け取ってしまうのです。

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山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(1)

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 1997年9月25日に、脚本家の山田太一先生の講演がNHK京都文化センターで行われた。講演は小冊子「物語のできるまで」(オムロン)にまとめられており(刊行時に加筆されている)入手することができたので以下に引用したい。明らかな誤字は訂正し、用字・用語は可能な限り統一した。

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