私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

佐野史郎 カカクコム15周年記念インタビュー(2012)(2)

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――そうですね。私たちの会社も、一見デジタルな世界ではありますが、やっていることは非常にアナログだったりします。コミュニティなども結局は人と人とのつながりというアナログな関係性から成り立っていますし。ただ、世の中にたくさんあるいろんな情報をわかりやすく整理して、みんなが検索しやすいような場を作っているだけなんですよね。

 

佐野 そういうシステムを作っている人を前にこういうこと言うのもなんだけど(笑)、人と人とがつながったりする際には、ひとつのキーワードだけではダメで、いくつかのキーワードが必要だと思うんですよ。たとえば、「レッドツェッペリン」というキーワードだけでは、ほとんどすべてのロック好きが対象になってしまうけど、そこに「アレイスター・クロウリー」というキーワードが加わってくると、魔術的な側面が浮かび上がってくる。そうして3つくらいのキーワードがそろうと、同じような嗜好性を持つ人が集まってきて、先ほど言った「秘密結社」的なコミュニティになってくるわけですよ。価格.comとか食べログに集まってくる人も、☆の数や口コミでの意見のざっくりとした善し悪しだけで判断するのではなく、細かなニュアンスを読み取って、選べると面白いですよね。

 

――ところで、佐野さんはもちろん俳優であるわけですが、執筆したり、音楽をやったり、写真をやったりと、かなりいろいろな分野でマルチな才能を発揮されていますよね。

 

佐野 本業は確かに俳優なんですが、俳優の仕事をするためには、文学や美術や音楽や写真といった要素というのは演じる上で密接な関係があります。もちろん、何よりもまず、肉体あればこそ!ですが。与えられた世界の中で俳優として表現するためには、自分の中に散らばっている、その世界から受け止めることのできるそれぞれの要素の具体的なイメージが、ひとつになって重なり、溶け合い、組み合わさってこないと成立しない。逆に言えば、与えられた作品がなくても、それぞれの具体的なイメージを持つ要素が、少しずつつながっていくことで、作品になっていく。なので、俳優として与えられた作品以外にも、常にイメージの模索はしていますね。それが文章や音楽や写真を通してやっていることなのでしょう。

 

――どれも佐野さんにとっては重要だし、切り離せないものなんですね。

 

佐野 僕は非常に落ち着きがないんですよ。書斎にいるときは、めまぐるしくいろんなことをしてますね。本を読んでたと思ったら、急にギター弾き始めたり、写真のアルバム整理してみたり、部屋の掃除してみたりとかね。そんな感じで絶えずいろんなことに気がいってバランスを取っているというか・・・いや、ただ落ち着きがないだけでしょう(笑)。

 映画の仕事でいえば、例えば先日参加させていただいた映画では、自分の出番のあるシーンは1シーンだけだったのですが、出番のないシーンでも撮影現場にも出向きました。自分にとって大切な作品であれば、他の登場人物や物語りの背景の分析をしたり、監督ともよく話し合い、そして自分が出ていない現場を見ることで、よりその作品を深く理解できますし、それを監督や共演者と共有することでよりその作品を愛することができると思うんです。でも、それっていわゆる俳優としての仕事だけではないですよね。もうちょっとスタッフ寄りというか・・・。そういう意味では、僕は俳優じゃないのかもしれません。俳優部という技師としての俳優に対する憧れはずっと持っていますが、多くを語らず、台本もらって、書いてある通りにしゃべって演技して、っていうことができるほど職人じゃないんです。

 その代わり、好奇心は強くて、常にいろいろなものに首を突っ込んで、何かを探しているわけです。もちろんすぐに何かの役に立つわけじゃなくて、何年も何年も放置したりもするわけですが、あるとき急に「あっ!」と形になるわけです。それまで点と点でしか見えていなかったものが、急につながって「そうか、そういうことだったのか」というような場面に出くわすときがあります。興味を持ったときには特に意味がないように思えることでも、後になると不思議とつながってくることは本当によくあります。

 

――そういう佐野さんのさまざまな活動があるからこそ、佐野さんの演技の中に、何かただ者ではないものを感じるんでしょうね。ところで、佐野さんは、初めから俳優になろうと思ってらっしゃったのですか?

 

佐野 思ってたみたいですよ。僕は全然記憶にないんですが、小学生の頃からそう言ってたらしいです。昭和30年生まれなんですが、天皇、皇后両陛下のご成婚の時に両親が早くにテレビを購入したので、幼年期からテレビが家にはあって、いろいろな怪人ものとかヒーローものは大好きだったですね。読書も好きで、絵本から入って、童話や怪奇小説なんかも幼少期から好きでしたね。もちろん漫画も。小学校高学年の頃にはビートルズと出会い、その後ロックの洗礼を受けましたし、それこそ音楽、映画、文学、写真といったいろんな要素が自分の中でごっちゃになっていた思春期の中で、自分が何に対してもっとも適しているか、機能するかということを考えたときに、職業として音楽家になるでもなく、小説家になるでもなく、俳優というものが、もっとも自分を生かせるんじゃないかと思ったんです。悪く言えば「消去法」。音楽は好きだけどギタリストになりたいわけじゃなく、まして歌もギターもど下手ですし、美術は好きだけどデッサン力もなく。で、俳優だったら最低限歩くことができて、日本語が話せますので、できるかな?と(笑)。

 

――その割には、随分濃い演劇キャリアを歩んで来られましたね(笑)。

 

佐野 やるからには、自分の好きなものをそこに入れたいんですよ。最初に劇団の創立に参加したシェイクスピア・シアターにしたって、当時はロイヤルシェイクスピアカンパニーのピーター・ブルックの斬新な演出が日本の演劇界にも大きく影響を与えていて、その影響もあって日本でもジーパンとTシャツ、ロックバンドだけのシェイクスピア劇をやっていましたけど、そうは言ったってシェイクスピアですから、演劇をやる人たちにとってもそうでない人たちにとっても、やはりシェイクスピアはアカデミックな世界だという刷り込みから逃れることは、なかなかできないわけですよ。そこに自分の好きなロックがあったり、神秘主義者としてのシェイクスピア像を持ち込んだりして悦に入ったりしてね(笑)。魔術的世界、神秘主義的世界、シュルレアリスム・・・そういった世界に惹かれつつ、澁澤龍彦種村季弘読みながらシェイクスピアやってたんです。その後、その世界の中で演劇を続けるのならば総本山の唐十郎の「状況劇場」しかないと決意し、門を叩くわけですが、入ってみたら、みんなが澁澤龍彦とか読んでるわけじゃないし、シュルレアリスムが好きとかいうわけでもなかった。そこで「そうか、みんな演劇が好きなんだ」と気づいたわけです。もちろん舞台俳優として自分を機能させたいとは思っていたけれど、唐さんの世界が好きなのであって、「演劇」に執着していたわけじゃない。そこに違和感はありました。もちろんそこに集まってくる人は皆さんすごい人ばかりで、あの時一緒に過ごした仲間たちや、あの時代に出会った先輩たちはかけがえのない僕の宝物です。そうして、その後、映画の世界に入っていくわけですが、いきなり映画の世界に入っていたら、こうして俳優を続けていることができたか疑問です。やはり何らかの巡り合わせがあって、密度の濃い「演劇」の世界を経験したからこそ、今の自分があると思っています。つづく

 

以上、価格.comのサイトより引用。