私の中の見えない炎

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寺田農 × 中堀正夫 トークショー(実相寺昭雄監督特集)レポート・『悪徳の栄え』(1)

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 『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)、『怪奇大作戦』(1968)などで知られた実相寺昭雄監督が逝って12年。13回忌にあたる2018年12月に、監督映画『悪徳の栄え』(1988)のリバイバル上映と、寺田農氏と撮影の中堀正夫氏とのトークショーが行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【『悪徳の栄え』】

中堀「ぼくが撮った中で『悪徳の栄え』、『屋根裏の散歩者』(1994)と『D坂の殺人事件』(1998)は、ほんとに見事にできてる。『悪徳』は撮ったカットを全カット使ってて、棄てていない」

 『悪徳』は、日活の伊藤(伊藤秀裕)さんっていうプロデューサーが実相寺さんとやったら面白いって。よくやらせてくれたなと思います。『屋根裏』も日活でした。『D坂』は東映で、東映はしっかりしていてDVDも勝手なことはさせない」

寺田「『悪徳の栄え』のことは、ぼくはほとんど忘れてますけど、印象的なことがあって、清水綋治さんは実相寺の初期からやってる方なんだけど、顔に似合わずというか、ものすごく繊細で真面目な人なの。ぼくは何の思想もなくジッソーがやれと言われたことをやるだけなんだけど、清水綋治は理論武装しないとやらないというタイプの役者。クランク・インしてるけど、1度ぼくと石橋蓮司と3人で監督に話を聞きたいと。そういう機会を農ちゃんつくってよと。そういうのぼくも実相寺もいちばん嫌いなの(一同笑)。実相寺は役者を何とも思ってなくて、おれみたいに言われたように文句も言わずにこにことやるって人がいちばん好きなんだから(一同笑)。そんなのやっても仕方ないよって言ったんだけど、清水綋治がどうしてもやろうって言うから、横浜かな。ロケの現場へ行って、ついては3人でって言ったら、実相寺は案の定…。でも清水綋治はそういうシチュエーションが1回あれば納得しちゃうのね(一同笑)。決して悪い人じゃないんだけど。

 私の鼻にいぼがあるみたいな、当時珍しかった特殊メイクをして、原口(原口智生)さんという優れた人がいて、デスマスクみたいな大変な思いをしてマスクとって、それから銀歯にしろとか。なんか意味があるのか?(一同笑) 実相寺はそこにこだわって“銀歯がきらっと光るのがいいのよ” 。天才の考えることは判りませんから、私は教えに従って言うがままにやる。抵抗しても無駄ですから」

中堀「抵抗すると嫌われますね」

 

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寺田「抵抗した有名な人もいるんですけど、『帝都物語』(1988)の主役をやるはずだった人で、またバカな人でね。打ち合わせをしたいということで、実相寺がいちばん嫌いでね。“日本近代史における云々”と。実相寺はバカじゃないのと。それで結局、嶋田久作になったんですよ。

 映画は総合芸術で話し合ってディスカッションをしてつくり上げていくけど、実相寺の場合は彼による彼のためのもの。打ち合わせしても意味がないのね」  

【若き日の想い出】

寺田「ぼくは実相寺門下で、実相寺に関わった多くの犠牲者の中で(一同笑)、ぼくがいちばん早いのかな。ぼくは21で、実相寺は26。『おかあさん』(1962)で実相寺がデビューして、そっからのおつき合いで長いんですけど。

 ぼくが文学座のアトリエで公演をやってるときにたまたま見に来た久世光彦さんに、実相寺を紹介されたんだけど。久世光彦は東京の人だからおしゃれで、花形ディレクターでかっこいい。実相寺はテレビ界の鬼才ということでぼくも知ってたんだけど、なかなか出てこない。きたない男がジャンパー着て出て来て、大道具の人かと思ったら“実相寺です” 。もうそのころから髪の毛も後退していましたし、かっこいい久世ちゃんと違うんで、ぼくが愕然としていると、実相寺は根に持ってね。“あなたは人を見る目がない”と言われましたけどね(一同笑)。

 5つ違うんですよ。ぼくは姉と妹の真ん中で男ひとり。実相寺はひとりっ子。男ひとりってところが似ていたのかもしれないね。若いころは1年のうち360日くらい会ってたね。実相寺はTBSにいて、ぼくも近くに住んでたし。赤坂に本屋が3軒くらいあって、いっしょに行ってあーだこーだ。当時の実相寺は酒飲まなくて、お祖父さんが酒で脳溢血になったかららしいんだけど、のちにリベンジするかのごとく飲み始めて。最初から実相寺さんなんて言ったことはなかったね」

 

 ふたりが初めて組んだのが、『でっかく生きろ』(1964)。

 

寺田「『でっかく生きろ』では志ん朝岡田眞澄杉浦直樹さんとぼくの4人で。前の年に日本テレビで『男嫌い』(1963)という岸田今日子さんとか4人の女性のドラマで、当時“毟る”なんて言葉が流行ったくらい、女性が男を毟るというおしゃれなドラマ。それを(TBSで)パクって男4人のドラマを」(つづく)